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2019年12月31日 (火)

〈方位の考古学〉の活用例(5)~九州の遺跡たち

太宰府に続き,気になる九州の遺跡たちを,

〈方位の考古学〉で見直してみたい。

ちなみに,太宰府のスタートは「7世紀後半(⇒6世紀後半)」だった。

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(1)鴻臚館(7世紀後半)⇒6世紀後半

(2)大野城(7世紀半ば)⇒6世紀半ば

(3)女山神籠石(7世紀代)⇒6世紀代

(4)小郡官衙(7世紀末~)⇒6世紀末~ 小郡屯倉→孝徳の小郡宮か (西偏⇒東偏⇒正方位と変遷している)

Photo_20191231060901

(5)有田・小田部(有田)(7世紀後半~)⇒6世紀後半 ※孝徳の難波長柄豊崎宮か(3種類の方位が混在している)

Photo_20191231060401

(6)鞠智城(7世紀後半,当時の日本を統治していた大和朝廷(政権)によって築かれた城)⇒

 6世紀後半,当時の日本を統治していた九州王朝(政権)によって築かれた城

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これらは太宰府の動きとほぼ同じ時期に,あるいはその前後に位置づけられる。

しかも時期からいうと,唐への対策ではなく,明らかに隋への対策だということができるだろう。

そういえば日本古代ハイウェーも7世紀第3四半期(⇒6世紀第3四半期)だから,まさしく同じ時期だった。

一連の動きはバラバラに起きたのではなく,九州王朝が隋に対して行ってきた証拠(遺跡が明らかにしている)なのだ。

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コメント

孝徳の難波長柄豊崎宮は、右側の図の南側にある西偏の官衙ですね。その北にある東偏・正方位の官衙は九州王朝の官衙だ。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

フォローすみません。

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