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2019年11月 9日 (土)

古代史セミナー 2019(1日目)

9日(土)は,八王子で行われた古代史セミナーに参加した。

夜の情報交換会は,最初10分と言われていたのに,

いつの間にか質問を含めて25分間となっており,最初あせったが,

予想外に「応援団」も現れて,うれしかった。

では,昨日の様子を略報しよう。

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ショート・ステイに母を送り出すと,私は自分の荷物を自転車に積み,

いそいそと新秋津駅に向かった。(午前10時に出発し,1時間後に会場へ)

まず,会場でパソコン用の電源を確保し,荷物を置くと,

「腹が減っては,研究会はできぬ」ということで,食堂で昼食を食べた。

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午後1時,講堂にて古代史セミナーが開会。

・大学セミナーハウス鈴木康司館長の話

・古代史セミナー荻上紘一実行委員長の話

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★特別講演・藤尾慎一郎さん「二つの弥生時代―「イネと石」の時代から「イネと鉄」の時代へ」

(司会・・・東京古田会・田中巌さん)

・1959年生まれ。「渡来系弥生人」を自称。福岡県福岡市生まれ。

中学の時「奴国展」を見に行って以来「弥生時代」と縁ができた。

40代の時,「弥生時代が遡る」という事実にぶつかった。

「これはもしかしたら500年遡るかもしれない」となっていった。

「弥生はいつから?」展を開くことになった。古田さんと会場で会う。

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講演の要旨

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弥生時代観の変遷

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土器で判定⇒水田で判定

古墳時代だと,古墳があるかないか

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甕棺の年代決定

交差年代法

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β法とAMS法

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・石包丁⇒併用期⇒鉄器

・金属器が割れると,必ず再加工して使っていた

・利根川以西に環濠集落があるので,そこが水田耕作の境目だったようだ

・全ての土器は平等に同じ幅(時間)だった訳ではない

・同時にそこにいた人を推定するのは難しい

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【質問タイム】

(1)水田伝播の順の件

(2)豪族という言葉はさすがに使う人はいないが,首長という言葉が多いか

(3)絹について展示の中にないのはどうしてか

(4)奈良県の水田は,紀元前6世紀の中頃か。酸素同位体測定法・中西さん

(5)近畿説でも鉄がないのが弱点と考えている。若い研究者は祭祀に注目している

(6)上町遺跡と比恵遺跡が同じような出土物が出ている

(7)埼玉県に弥生文化がない地域がある⇒水田耕作がないのでは

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・ここから大墨さんが司会を担当しました。

・研究発表 Ⅰ

【中村通敏さん・・・『冨谷至著『漢倭奴国王から日本国天皇へ 国号「日本」と称号「天皇」の誕生』への疑問の数々】

・京都学派とは?

・4つの疑問点(1)金印の読みについて(2)倭王武は雄略天皇なのか

(3)隋書の文字なしの解釈(4)・・・

「冨谷さんは古田さんの本を読んでいる。それゆえ邪馬台国の場所に触れていないのではないか」と大墨さん。

【上城誠さん・・・『万葉集』―手枕まきてー】お休みでした。

【古田光河さん・・・父の思い出と今後の活動】

「本の虫」「頑固に自分に正直」「ロマンチスト」の3つのキーワードで,

豊富なスライド写真を見せながら.貴重な録音を聞かせながら語られた。

今後「書簡集」など出していただけたらという要望も出された。

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【夕食】ご馳走の並ぶ夕食でした。

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・情報交換会~ここからは橘高さんが司会をされました。

【広幡文さん・・・神武東征】

・シンプルに史料を読むことが大切。

・日向と宇佐の間に速吸門がある。そこに中心地(津屋崎たり)があったのではないか。

【肥沼・・・方位の考古学】~発表できてよかった。大収穫だった!

悉皆調査は古田さんの特徴だと考え,奈良文化財研究所データベースで,

全国の寺院や官衙の方位を精査した。

早めに泉官衙遺跡(1ページをこれだけに割いた甲斐あり)を見てもらい,

参加者に遺構を実感しやすいように話した。

「泉官衙遺跡は,2つの王朝の「栄枯盛衰」を表す貴重な遺跡」と考えている。

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結論から入り,方位の重要性を訴えたことと,結論を押し付けないように気を付けた。

・質問等

(1)東偏何度のものが多いですか?四天王寺は西偏4度らしいですが・・・。

(2)郡山遺跡(仙台)や多賀城廃寺(観世音式)をご存知ですか?

(3)大いに発表に刺激を受けました。頑張って下さい。(積極的応援団現わる!)

 あとでお礼を言いに行ったら,「今回の一番の収穫でした」と言われた。やったね!

(4)紹興(紀元前4世紀?)の方位は西偏だったらしいですね?

(5)奈良時代の方位はどうだったのでしょうか?

(6)日本列島の中でも,磁気の偏差があるのをご存知ですか?

(7)どのくらい昔から磁石はあったのでしょうか?

説明する中で,「玉石敷」「東山道と東海道の終点」「MRI」「天壇・地壇」

「論理の導くところへ」等の言葉を入れて話をしました。

とりあえず,「方位の考古学」の「顔見世興行」ができたのではないかと思います。

【鈴木浩さん・・・九州王朝を訪ねる旅Ⅰ~Ⅲを終えて 見えてきた九州王朝】

・お話を聞いていて,また九州王朝の遺跡を訪れる旅がしたくなった。

装飾古墳にも改めて興味を持たせていただいた。

【吉村八州男さん・・・信濃の国での考古遺品から見る「磐井の乱」の実在―「科野の国」の「蕨手文様」-】

・九州の古墳に蕨手紋あり。それが10以上の信州(真田)の石碑に使われている。

・ツボケ族の関連の蕨手紋の刀との関連。

【角田彰男さん・林伸示喜さん・・・臼杵石仏の九州年号―正和四年が九州年号であると,どのように確かめたか―】

・九州年号のか鎌倉時代の年号なのか?

・最初は干支がなかったのに,現在干支が掘られている謎。

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合田さん~NHKで「ダークヒストリー」を放送された後,新聞掲載を断られた。

皆さんで抗議のご協力願います。また,「紫宸殿」の地を45cmまでしか掘れない。

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空では,明るい月が私たちを見守ってくれていた。

午後6時頃。

月齢10.4くらい。

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施設の都合で4人部屋に私一人。王様みたいな気分?

 

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コメント

肥沼さんへ

 発表お疲れ様でした。
 また支持者・応援団も現れたようで、収穫の多い発表だったのじゃないかな。
 幸い発表時間が多くいただけて(たぶん上城さんが欠席なので、古田さんの話を研究報告の方に入れて、その分の時間を肥沼さんに回したのだと思う。エントリーしたときよりも、この会合を企画した人の間に「方位の考古学」が注目されていたのじゃないかな。きっとブログを注視していたのだとおもう)じっくり要点を報告できたのではないでしょうか。
 それから今回肥沼さんが報告の方法を工夫したのも大きい。これはヒットです。
 だらだら報告しないで、「方位の考古学」が与える影響を先に話て聞くものにハット注意をさせ、そのうえで「仮説」⇒「方法論」⇒「精査の結果」と進んだことが内容の理解を促したと思う。
 だから質問を見ていると、本質の所で疑問を提起した人はいないように思います。
 いくつか質問について質問。
 2の多賀城廃寺と郡山遺跡を知っているか。これはどういうニュアンスの物だったのだろうか。
 6は何を聞いているのだろう。磁気偏角は時代によって異なるし、列島の場所で異なる。でも場所で異なると言ってもせいぜい1度。現在の日本列島は西偏6度から7度。これを指摘しても何も提起したことにならないのだが。
 4は興味深い質問ですね。中国の紹興年間が西偏だったとの根拠は聞きましたか?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。 

〉 発表お疲れ様でした。
 また支持者・応援団も現れたようで、収穫の多い発表だったのじゃないかな。
 幸い発表時間が多くいただけて(たぶん上城さんが欠席なので、古田さんの話を研究報告の方に入れて、その分の時間を肥沼さんに回したのだと思う。エントリーしたときよりも、この会合を企画した人の間に「方位の考古学」が注目されていたのじゃないかな。きっとブログを注視していたのだとおもう)じっくり要点を報告できたのではないでしょうか。
 それから今回肥沼さんが報告の方法を工夫したのも大きい。これはヒットです。

「夢ブログ」や「多元的「国分寺」研究サークル」で,いろいろ情報を流していたことが大きいのかも。
厳しい質問は特になく,「新しい方法」の提案を好意的に受け入れて下さるという感じがしました。
直前に「だらだらやらない。結論から行く」と方針変更したことも良かったと思いました。

〉  2の多賀城廃寺と郡山遺跡を知っているか。これはどういうニュアンスの物だったのだろうか。

仙台の方の質問で,一元史観の人も困っているということらしいです。

〉 6は何を聞いているのだろう。磁気偏角は時代によって異なるし、列島の場所で異なる。でも場所で異なると言ってもせいぜい1度。現在の日本列島は西偏6度から7度。これを指摘しても何も提起したことにならないのだが。

日本列島は一律ではないことを知っているか,確かめたかったようです。

〉 4は興味深い質問ですね。中国の紹興年間が西偏だったとの根拠は聞きましたか?

いいえ。ちょうど会場に紹興酒が用意してあったので,興味を持ったのかもしれません。

肥沼さんへ

〉  2の多賀城廃寺と郡山遺跡を知っているか。これはどういうニュアンスの物だったのだろうか。
仙台の方の質問で,一元史観の人も困っているということらしいです。

 この二つの遺跡は、東北の悉皆調査の中できちんと論じてみましょう。倭国・日本国と蝦夷との関係の通説が崩壊する局面でしょう。

 紹興について。
 年号としての紹興は12世紀のもの。日本だと西偏⇒東偏へ変わる時期。
 紹興という都市は昔の春秋時代の越の首都だ。春秋時代とは前8世紀から前5世紀。この時代のことだとすると、磁気偏角はどうなのでしょうね。
 こういう話は適当に答えないで、発言者にちゃんと根拠や問いの意味を聞くべきだと思いました。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 こういう話は適当に答えないで、発言者にちゃんと根拠や問いの意味を聞くべきだと思いました。

東京の方ですから,またお会いすると思います。
その際に聞いてみたいと思います。

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