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2019年11月 6日 (水)

★私たちの仮説や考え方★

長い間解けなかった日本の古代史の謎も,古田武彦氏の九州王朝説をはじめとする

多元的古代の研究で,だいぶ解けてきた。

古田氏は数年前に亡くなったが,その志を継いで解明に努めたい。

さしあたり,私たちの仮説は以下のようなものである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路ではないか

・国分寺建立の詔に「国分寺」なし(「国分寺」はなかった!)・・・史料の正しい理解,新しい「学説」

・全国の東偏(のちに正方位)の〈寺院〉〈官衙〉は九州王朝の命じたものではないか

・それを利用すれば,土器編年のズレを修正し,実年代がわかるのではないか・・・「方位の考古学」

・東偏の「手本」は中国南朝ではないか?同様に,正方位の「手本」は隋ではないか?

・泉官衙遺跡は,2つの王朝の「栄枯盛衰」を表しているのではないか?・・・「方位の考古学」から必然的に導かれた結論 

・エビノコ郭は九州王朝天子のために近畿天皇家がつくったものではないか。・・・「主語有無の論証」(川瀬さん)

・彦狭嶋王に東山道・都督を命じたのは九州王朝の天子ではないか?・・・「主語有無の論証」の肥沼の応用

・東山道と東海道の終点は,同じ石岡市(蝦夷国との境)であった。

とすれば,北陸道と北海道は同じ粛慎(靺鞨)で,西海道と南海道は同じ中国ではないか(中国北朝)。

三大仮想敵国への対抗の官道が6世紀半ばに作られたのではないか(三大軍用道路)

・初代の武蔵国分寺は正方位で作られ,それに隣接した武蔵国府も正方位だった(川瀬さん)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらを活用し,また新たな仮説を積み上げ,日本の古代史の解明をしていきたい。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

>・エビノコ郭は九州王朝が作らせたものではないか。・・・「主語有無の論証」(川瀬さん)

 これ大きな間違いです。
 エビノコ郭は九州王朝天子のために近畿天皇家がつくったものではないか。

 これがわたしが提起した問題です。

追伸
>・国分寺建立の詔に「国分寺」なし(「国分寺」はなかった!)
 これは「仮説」ではありません。史料の正しい理解です。
 新しい「学説」と言った方が正しい。
 この詔は「(諸国の寺院・おそらく国府付属寺院に)七重塔をつくれ」というもの。この詔以前に七重塔を造るべき国営寺院が全国の国府に存在した。その寺院は九州王朝が指示したもの。そしてこの寺が九州王朝の寺であったことを抹消するために、金光明経を配布し、国家がそのお経を分けた寺だからということで、「国分の金光明経を配布した●●国の寺院」となづけ、これを簡略化して、●●国国分寺と名称を変更したのだ(国分尼寺も同様。国分の法華経を持つ尼寺という命名)。

>・東大寺建立の詔には「東大寺」なし
 これが何を意味するのか。この問題は検討していませんし、何らの仮説も提起されていません。

>・東偏の「手本」は中国南朝ではないか?
 これを挙げるのであれば、正方位の「手本」は隋王朝ではないか、も入れるべきでしょう。

>・泉官衙遺跡は,2つの王朝の「栄枯盛衰」を表しているのではないか?
 これは仮説ではなく、方位の考古学から必然的に導かれた結論です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 >・エビノコ郭は九州王朝が作らせたものではないか。・・・「主語有無の論証」(川瀬さん)
 これ大きな間違いです。
 エビノコ郭は九州王朝天子のために近畿天皇家がつくったものではないか。
 これがわたしが提起した問題です。

すいません。さっそく訂正します。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 >・国分寺建立の詔に「国分寺」なし(「国分寺」はなかった!)
 これは「仮説」ではありません。史料の正しい理解です。
 新しい「学説」と言った方が正しい。
 この詔は「(諸国の寺院・おそらく国府付属寺院に)七重塔をつくれ」というもの。この詔以前に七重塔を造るべき国営寺院が全国の国府に存在した。その寺院は九州王朝が指示したもの。そしてこの寺が九州王朝の寺であったことを抹消するために、金光明経を配布し、国家がそのお経を分けた寺だからということで、「国分の金光明経を配布した●●国の寺院」となづけ、これを簡略化して、●●国国分寺と名称を変更したのだ(国分尼寺も同様。国分の法華経を持つ尼寺という命名)。
>・東大寺建立の詔には「東大寺」なし
 これが何を意味するのか。この問題は検討していませんし、何らの仮説も提起されていません。
>・東偏の「手本」は中国南朝ではないか?
 これを挙げるのであれば、正方位の「手本」は隋王朝ではないか、も入れるべきでしょう。
>・泉官衙遺跡は,2つの王朝の「栄枯盛衰」を表しているのではないか?
 これは仮説ではなく、方位の考古学から必然的に導かれた結論です。

すいません。訂正します。

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