「方位の考古学」によって明らかにされる本当の日本の歴史
「方位の考古学」によって,本当の日本の歴史が明らかにされる。
九州王朝が隋の設計思想に倣って6世紀末~7世紀初頭に正方位としたとすると,
初代・武蔵国分寺もそうだということだ。
741年の「国分寺建立の詔」より100年以上前のこととなる。
そして,東山道武蔵路は土器編年を「方位の考古学」で100年遡らせて
6世紀第3四半期ということだ。
順番に並べ替えると,
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551~575年頃,東山道武蔵路が作られる。
590~610年頃,初代・武蔵国分寺(正方位)が作られ始める。
※ 戦争が近づき,工事が途中でストップした可能性もあり。
そして,663年,白村江の戦いで敗北。
700・701年,九州王朝と近畿王朝のONライン(王朝の交代)
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ということになる。
通説の年代とはまったく違う歴史が,
「方位の考古学」によって明らかにされることになる。
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