研究することの楽しさと厳しさ
多元的「国分寺」研究から始まって,「方位の考古学」まで。
本当に「思えば遠くへきたもんだ」という気がします。
しかし,1つわかると次の疑問がすぐ出てくるのが研究で,
なんか終わりのない旅をしているような気もします。
私はまだ川瀬さんのように,仮説を立て,その論証に全力を注ぐ!
なんてところまではとても行っていませんが,
川瀬さんの「背中」を見て,多くのことを学ばせていただきました。
また,途中でめげそうになる私を何度も励まし,叱咤し,
なんとか「方位の考古学」の発表まで漕ぎつけたこと。ブログを借りて感謝いたします。
川瀬さんのことなので,どうせ「まだやり残していることを,やってしまいましょう」と
コメントを入れてくることは100%間違いないのですが,
多元的「国分寺」研究サークルから始まって,「方位の考古学」まで
共に歩んで下さったお陰で,私もずいぶん成長させていただきました。
研究することの楽しさと厳しさを,実践を通して教えていただいたと思っています。
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1日いくつかの遺跡の精査をする中で,時に大きな問題にぶつかり,
その都度新しい発見があったことを思い出します。
遺跡の多い太宰府などは「五里霧中」「暗中模索」状態になりましたが,
東偏・正方位のめまぐるしい変化の中で,
当時の太宰府の人たちの悲痛な叫びが聞こえてくるようで,
歴史研究の醍醐味を味わえました。
また,官衙遺跡の精査でなかなか中心の建物が見つからず,
建物群を「群」として見られず,「個」として見てしまうドツボには何回も陥りました。
これは私の大きな弱点だと痛感しました。
もうあと少しで,悉皆調査はおしまいです。
「最後まで頑張った!」という自信が,私に訪れる日は近い!(と信じたい。笑)
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肥沼さんへ
>川瀬さんのことなので,どうせ「まだやり残していることを,やってしまいましょう」と
コメントを入れてくることは100%間違いないのですが,
かんぜんにお見通しですね。
そう、まだ終わったわけじゃない。
1:遺跡の精査が残っている。山陰⇒東北。
2:50年とか100年編年がずれる証拠を集める(c14年代法や年輪年代法、さらには文献との関係など)。
3:「方位の考古学」の結論から歴史がどう変わるか考究する。
3までやってこの研究は終りです。
やっととっかかりの史料精査がようやく終わりに近づいた。
でも肥沼さんが「思えば遠くへきたもんだ」と感慨にふける気持ちもわかります。今回の発表で幸いにして大いなるご賛同を得たからでしょう。
これは自信になったと思いますよ。
でも3は新たな課題と言ってもかまいません。
今までも見えなかった歴史が見えてくるはずです。
そして3の中に、「国分寺研究の完成」があります。
服部さんによる素弁蓮華文軒丸瓦の編年のずれの研究がありましたが、これと方位の考古学の成果を合わせ、さらに伽藍形式の研究を合わせると、全国の国分寺の真の創建年代を明らかにできるなと考えます。
そして太宰府の歴史も大きく変わりますし、蝦夷と倭国・日本国との関係も大きく変わります。
あわてずあきらめずに、一つ一つ目の前の課題をこなしていきましょう。3の課題の姿も見えていますので。
投稿: 川瀬 | 2019年11月10日 (日) 18:14
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 かんぜんにお見通しですね。
そう、まだ終わったわけじゃない。
1:遺跡の精査が残っている。山陰⇒東北。
2:50年とか100年編年がずれる証拠を集める(c14年代法や年輪年代法、さらには文献との関係など)。
3:「方位の考古学」の結論から歴史がどう変わるか考究する
恐れ入ります。何といっても,川瀬さんとのお付き合いも長くなりましたので。
〉 あわてずあきらめずに、一つ一つ目の前の課題をこなしていきましょう。3の課題の姿も見えていますので。
どうぞよろしくお願いします。
ところで,データベースがここ数日「ストライキ」を起こしているようです。
また「接続要求が制限数を越えているので、対応できない状態です。
しばらくしてから接続し直してください。」という言葉が出ていますね。
投稿: 肥さん | 2019年11月10日 (日) 22:51
肥沼さんへ
>ところで,データベースがここ数日「ストライキ」を起こしているようです。
また「接続要求が制限数を越えているので、対応できない状態です。
しばらくしてから接続し直してください。」という言葉が出ていますね。
そのようですね。
連休になるとデータベースのサーバーのメンテナンスをしているのでしょうか。もしかしたらサーバーがウィンドウズ7なのでOSの交換作業なのかもしれません。
まあしばしの休息ということで、別のことをやっておきましょう。
私はとりあえず、出雲青木遺跡の精査を進めます。
>また,官衙遺跡の精査でなかなか中心の建物が見つからず,
建物群を「群」として見られず,「個」として見てしまうドツボには何回も陥りました。
これは私の大きな弱点だと痛感しました。
はい。肥沼さんは掘り出された建物の中から主殿を見つけようとするから見つけられないのです。
うまく主殿が掘り出されていればよいのですが、主殿らしきものがみつからないときは、「また見つかっていない」と仮定して、発掘地域外に「未発掘の主殿がある」と考えてみれば良いのです。
未発掘の主殿を想像する。
これができれば、発掘された建物群に「未発掘の建物群」を加えたものを想定して、建物群の姿と方位を測定できるのです。
この「想像力」が、肥沼さんに欠けている能力の一つです。
ないわけではないと思います。まだ才能が眠っているのです。埋もれた才能がまだ見つけられていない。
眠っている才能を起こす方法は、たたき起こすしかありません。
何度も何度もたたき起こす。
「未発掘の主殿があるはずだ」と何度も考えているうちに、不思議とできるようになるのだと思いますよ。
官衙よりも寺院のほうがこれを見つけやすいですね。
でも官衙、とりわけ政庁は、コの字型かロの字型。国府でも郡衙でも、そして駅屋でもそうです。
そして政庁に付属する官衙(曹司といわれるもの)もまた同じ形をとる。
このコの字型やロの字型の建物群が多数集まったものが、都であり国府であり郡衙であるのだと思いますね。
これを頭に入れて、あとは遺跡図から想像力を働かせて、まだ掘り出されていない建物を想像する。これの繰り返しで、想像する力は目覚めるのだと思います。
あきらめずに遺跡の精査を続けましょう。
全国悉皆調査が終わっても、たとえば国分寺研究を進めればまた、遺構の精査は続きます。
投稿: 川瀬 | 2019年11月10日 (日) 23:19
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 あきらめずに遺跡の精査を続けましょう。
全国悉皆調査が終わっても、たとえば国分寺研究を進めればまた、遺構の精査は続きます。
はい,頑張りたいと思います。
投稿: 肥さん | 2019年11月10日 (日) 23:29