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2019年11月14日 (木)

ようやく「奈文化財研究所のデータベース」が復旧

ようやく「奈良文化財研究所データベース」が復旧しました。

時々「メンテナンス」と称して,シャツターが降ろされるのですが,

いつなのか,それは「奈良文研のみぞ知る」ということで,

その度に「ストップ」を掛けられます。

今朝見たら復旧していたので,さっそく島根県の〈官衙遺跡〉の残りをやりました。

ただし,あまり自信はありません。(涙)

Photo_20191114064701

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 サイトの復旧のおしらせありがとうございます。
 早速、島根県官衙遺跡の残りの監修をやっておきます。しばしお待ちを。

追伸:やっておきました。最後の三つの遺跡は、判断しずらい難しいものですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

いろいろな方位が入り混じっていて,困りました。
その理由は何なのでしょうか?

肥沼さんへ
>いろいろな方位が入り混じっていて,困りました。
その理由は何なのでしょうか?

(1)門(8世紀~)
 これは集落だからです。集落は一定の思想的な意味での方位という設計思想で作られるのではなく、地形や道路との関係でつくられます。
 この集落は「四面廂のSB06だけ向きが異なるのは、ここだけ扇形の平地になっていて、その平地の開く方向が、緩い斜面とはことなったから。」

(2)甲ノ原(9世紀末葉以前~以後)
 この遺跡の状況は「 しかし6区のSB12とSB13は正方位。重なっているSB5・6・7が他の建物と全く別の方位。  年代はすべて9世紀末葉前後。
 東偏と正方位の建物が混在しているが、柱穴重なっていないので先後関係はふめい。」
 おそらく一つ一つの掘立柱建物の正確な年代が出せなかったからでしょう。つまり柱穴に建設時に混入した(もしくは意図的に入れた)土器がなかった。
 こうなると周辺の遺構面などに散在する土器でしか判断できなかったからでしょうか。
 実際は9世紀末葉前後でも、方位による年代が異なるはずです。

(3)尼寺原(古墳時代後期~平安時代)
 ここは古墳時代後期の遺構と平安時代の遺構が重なっているのだとおもいます。
 おそらく古墳時代後期:西偏、  平安時代:東偏。
 しかし遺構面で出土した土器から二つの時代の遺構が重なっていることは判断できても、西偏と東偏のそれぞれの建物の柱穴からは、それぞれの建物の年代を確定する土器がでなかった。それぞれに一棟でも土器が出ていれば、年代が決定できたのだと思います。

 残念ながら考古学も万能ではないです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 残念ながら考古学も万能ではないです。

なるほど,そういうことなのですね。
今まで土器なんてたくさん出土するものだと思っていましたが,
1つも土器が出てこないと年代が判定できないというのも現実なのですね。

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