« 「体育の日」は今年が最後。来年からは・・・ | トップページ | 残りのノーベル賞と「板倉賞」 »

2019年10月14日 (月)

九州王朝の「北海道」「北陸道」の終着点について(2)

古賀さんの「洛中洛外日記」に連載された上記の話題は,

9回で終了し,以下のようにまとめられた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【九州王朝(倭国)の七道】(案)

○「東山道」「東海道」→「蝦夷国」(多賀城を中心とする東北地方)


○「北陸道」「北海道」→「粛慎国」(ロシア沿海州と北部日本海域)


○「西海道」→「百済国」(朝鮮半島の西南領域)


○「南海道」→「流求國」(沖縄やトカラ列島・台湾を含めた領域)


○仮称「大海道」→「裸国」「黒歯国」(ペルー、エクアドル)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は「軍管区」というからには,敵対国と友好国が混じっているのはいかがかと思うが,

(私は「西海道」と「南海道」は中国が仮想敵国と考える。補給路として,2つがペアなのではないか)

さらに新しい史資料が出てからまた語りたい。

古賀さんも書いておられるが,いろいろな人が考えを出し合って新知見を得るというやり方がやはりいいと思う。

誰々の説が絶対正しいからと,教条的に信じるということではいけない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〔謝辞〕本シリーズの論証は、次の方々による古代官道に関する先駆的研究業績に基づいています。お名前を紹介し、感謝の意といたします。
 肥沼孝治さん(古田史学の会・会員、東村山市)、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)、山田春廣さん(古田史学の会・会員、鴨川市)。

 あわせて、「東に向かっているのになぜ北陸道なのか」という疑問をFACEBOOK上で寄せていただいたKさん(コジマ・ヨシオさん)、「流求国」についての知見をご教示いただいた正木裕さんにも御礼申し上げます。Kさんのコメント(疑義)がなければ本シリーズは誕生していなかったといっても過言ではありません。〝学問は批判を歓迎する〟という言葉が真実であることを改めて深く認識することができました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

« 「体育の日」は今年が最後。来年からは・・・ | トップページ | 残りのノーベル賞と「板倉賞」 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

>私は「軍管区」というからには,敵対国と友好国が混じっているのはいかがかと思う

 私も肥沼さんのご意見に賛成です。
 軍管区ということは、確実に強力な敵に対応した体制だということ。

 ついでに言うと、東山道・東海道の終点は「友好国」である「蝦夷」ではなく、敵対関係にある粛慎国だと思います。蝦夷国はその途中の補給点で粛慎国を攻めるための拠点。
 どうように西海道の百済もこれは友好国で中国と戦うための補給点で拠点。
 おなじように南海道の流求國も倭国の友好国で中国と 戦うための補給点で拠点。この流求國を隋が攻めたことが倭国が隋に対抗した主な理由だと思います。

 この隋が流求國を攻めたという事実も、南海道が中国を仮想敵国とした軍管区だという想定を支持するものだと考えます。
 同じように西海道も、百済と倭国はずっと同盟国であったし、だからこそその百済と唐が敵対関係に陥ってしまった以上、そしてその唐と新羅が同盟して百済を攻め滅ぼそうとした以上、倭国としては唐と戦わざるを得なかったのだと思う。
 この歴史的事実が、西海道の最終目的地は中国であり、百済はその途中の友好国で補給と軍隊の拠点だということを示す史料だと思います。
 是と同時に近畿天皇家の遣唐使が「西海使」と呼ばれたという事実も、西海道の最終目的地が中国だという史料であると思います。

 これ以上新たな史料を必要としないほど論証されていると思います。

 古賀さんは高良宮の神像を無媒介にこの軍管区である六道に結び付けています。
 あの神像は、倭国の友好国を示したもの。その中に近畿天皇家が含まれていることからも明らかです。
 神像の「上半身裸の「南の国」からの使者と思われる御神像を裸国からの使者」としたのは慧眼だと思いますが、どうみてもこの「大海道」の終着点である裸国は遠い海の向こうの友好国なので、この方面に倭国の存在を脅かす敵国があるとは思えないので、軍管区としての「大海道」を設定するのは勇み足だと思います。
土佐国は東海道の枝道が伊予国から伸びているので、土佐国は東海道軍管区に属していることは明らかです。きっとこの道は東海道土佐路と呼ばれたことでしょう。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  私も肥沼さんのご意見に賛成です。
 軍管区ということは、確実に強力な敵に対応した体制だということ。

賛成していただき,ありがとうございます。

〉 これ以上新たな史料を必要としないほど論証されていると思います。

なるほど,なるほど。
いままでわかっていることで,十分論証できるということですか。

〉 きっとこの道は東海道土佐路と呼ばれたことでしょう。

東山道武蔵路と同じような響きがありますね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「体育の日」は今年が最後。来年からは・・・ | トップページ | 残りのノーベル賞と「板倉賞」 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ