前方後方墳
桜井古墳が前方後方墳だったので,
前方後方墳についての興味が出てきた。
検索してみると,ウィキペディアにもけっこう書かれていた。
【前方後方墳】
https://ja.wikipedia.org/wiki/前方後方墳
東日本の初期古墳に多いということは,
前方後円墳(方円墳)と違う文化を持っているということなのかな?
泉官衙遺跡とは直接関係ないにしても,
これだけの古墳を作るのには,やはり多くの水田を支配していたのだと思う。
九州王朝もそこに目を付けて泉官衙を置いたことは考えられる。
(何もない荒野に官衙を設置する訳はないと思うので・・・)
« 泉官衙遺跡への旅(2日目) | トップページ | 天気と予定 »
「古田史学」カテゴリの記事
- 年輪年代により,土器編年を訂正(20年前の記事ですが)(2021.01.27)
- 払田の柵の柱の年輪年代について(2021.01.25)
- やはり入手しておくか(2021.01.22)
- 新田郡庁跡と泉官衙遺跡の時期の比較(2021.01.20)
- 日本最大の大きさの「新田郡衙遺跡」(2021.01.18)
コメント