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2019年10月12日 (土)

九州王朝の「北海道」「北陸道」の終着点について

私も「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」で,

東山道武蔵路から古代史の世界に入って行った私。

先程,古賀さんの「洛中洛外日記」を見たら,関連のことが出ていました。


【東の強敵・蝦夷国】それを討つ「海ルート」・・・東海道
          それを討つ「陸ルート」・・・東山道


茨城県石岡市に何回も訪問したが,そこが東海道と東山道の合流する場所で,
せっかく海と山で別々にここまできたのに,なぜここで合流するのか?と疑問に思ったことがあった。
まあ普通に考えれば,そこから先には行くことができない土地(蝦夷国)だったということだったのだろう。
そして,そこを拠点に北上していったのがこの東方面のルート。

今回は北海道と北陸道。これも同様ではないかと古賀さんは考えたようだ。

【北の強敵・粛慎国】それを討つ「海ルート」・・・北海道(最初に海を渡り,朝鮮半島から陸を北上する)

          それを討つ「陸ルート」・・・北陸道(最初は日本海伝いに陸を行き,能登半島から海を渡る)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近購入した『日本古代の輸送と道路』(八木書店)に小嶋芳孝さんの「渤海日本道と加賀・能登」という論文があり,

関係がありそうな地図が出ていた。もちろん渤海は粛慎より後の国だが,日本と交易関係もあったようだ。

ということは,昔からのルートがあったと考えた。そのルートを色ペンで書いてみることにする。

なるほど,2つのルートがあれば,片方がダメになっても補給路が確保できる。軍事的な戦略だろう。

Img_4915 Img_4917

しかし,西海道と南海道には「山(陸路)」がなく,「海路」だけのようだ。

いったいどこを九州王朝は敵と考えていたのか,興味がひかれるところである。

 

 

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 古賀さんの記事読みました。
 西海道の最終目的地ですが、書紀に「西海使」とあって、実際は九州王朝から独立した動きをしていた近畿天皇家の事実上の「遣唐使」であった(私の論文「書紀斉明紀を精査する」)事実を元に考えてみれば、これは中国に到達する海路であったと思います。
 それはおそらく朝鮮半島の南西側を沿岸沿いに中国に至る海路。当時なら百済経由ですね。
 さらに南海道ですが、日本国の南の果てである喜界島を経由して、琉球・台湾、そして中国に至る道であったのではないでしょうか。
 どちらも最終到達地の敵国とは中国。この当時なら隋と唐ですね。
 九州王朝が隋と対抗関係に入ったきっかけは隋が琉球に侵攻したことだったと思います。ここから北上されたら防ぐことができない。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 西海使

ここで再登場ですね!
西海道と南海道は,中国が敵国という訳ですね。
じゃあ,これで当時の三大敵国〈中国〉〈粛慎国〉〈蝦夷国〉が出そろうことになる。
そして,これが古代官道をめぐらした理由という訳か。

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