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2019年9月 8日 (日)

調神社の謎~多元的に考えてみる

浦和仮説サークルの会場である岸町コミュ二ティーセンターの近くに

調神社という古そうな神社がある。

0045

だいたい読み方からして「謎」という感じだが,

これは「つき」読むそうで,地元の人たちからは「つきのみや」と呼ばれているようだ。

由来を多元的に読み,考察すれば,この神社の謎が解けるのではないかと思い,

ちょっと書いてみようと思う。

前に日本書紀の全文検索で,「詔」を調べたことがある。

それをコピーしてみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神武        ●
綏靖 
安寧
懿徳
孝昭
孝安
孝霊
孝元
開化
崇神        ●●●●●●●●●
垂仁        ●●●●●●●●●●●●●● 
景行・成務     ●●●●●●●●●●●●
仲哀        ●●●
神功        ●●
応神        ●●●
仁徳        ●●●●●
履中・反正     ●●●
允恭・安康     ●●●
雄略        ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
清寧・顕宗・仁賢  ●●●●●●●●●
武烈        ●●●●●●●●●●●●
継体        ●●●●●●●●●●●●
安康・宣化     ●●●●●●●●●
欽明        ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●  44                                       
敏達        ●●●●●●●●●●●●●
用明・崇峻     ●●●●●●●●●●

推古        ●●●●●●●●●●●

舒明        ●●●●●●●●●●●
皇極        ●●●●●●
孝徳        ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●  45

斉明        ●●●●●
天智        ●●●●●●
天武上       ●●●

天武下       ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●  63
持統        ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●  51

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神武で1つ出てくるが,その後崇神まで1個もない。

これは「欠史8代」と呼ばれ,普通「近畿天皇家がまだ大和地方内から外に出られず,

「雌伏」していた時期」と説明されている。

しかし,多元的古代ではもうすでに九州王朝が成立していて,

関東地方に直轄地を持とうと狙っていた時期と考える。

調神社の由来を検索して調べてみる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

社名を調(つき)神社と云い、地元では「つきのみや」と愛称されています。鳥居のない神社として有名で、狛犬ではなく兎が置かれているのも全国的に珍しいものです。

<御祭神>
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ)
 素盞嗚尊(すさのおのみこと)

<御由緒>
 「調宮縁起」によると、今からおよそ2,000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建。伊勢神宮へ納める貢(調)物(みつぎもの)の初穂を納めた倉庫群の中に造営されたため、貢物搬出入の妨げになる鳥居がないと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(905)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、武藏國四十四座のうちの一社と記載されています。
 また、調(つき)の名が、月と同じ読みであるところから、月の動物と云われた兎が神の使いとされ、中世の月待信仰(月のもつ神秘に畏敬をなし、月の出を待って祈る信仰)の広がりと結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれていたようです。今も兎の石像や社殿に飾られた兎の彫物、兎の絵馬など所々に兎が配されています。

<社殿の沿革>
 南北朝時代の延元2年(1337)に、足利尊氏が一色範行に命じて荒廃した社殿を復興したと伝えられています。その後戦国時代末期の天正18年(1590)小田原兵乱で、再び焼失しましたが、徳川家康の関東入部後から江戸時代初期にかけて次第に再建されたようです。現在の社殿は、安政6年(1859)竣工で、総欅の権現造りです。一代前の本殿も、境内末社の稲荷社本殿として現存しており、こちらも総欅で一間社流造りという建築様式です。

<社頭風致>
 神域は約1万2千平方メートル、鬱蒼と生い茂った樹齢数百年のイチョウやケヤキ、ムクなどが見事な鎮守の杜を形成しており、江戸末期の建築にかかる権現造の社殿が、悠久の時を超えて静かに建っています。

<主な行事>
 1月1日:歳旦祭
 2月3日:節分祭
 4月3日:春祭
 6月30日:大祓式
 7月19日:神幸祭
 7月20日:例祭
 11月23日:秋祭
 12月12日:大歳市祭(十二日まち)

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多元的に考察してみると,最初は九州王朝の機関として建てられた(斎宮への調を集めるところ)だったが,

近畿王朝が支配した後に神社となった。(ここにはスサノヲが祭神の一つになっているが,

「大宮(氷川神社のこと?)に行かれた」のでアマテラスになったという話もある)

また月に縁があって狛犬らぬ「狛兎」ということだが,摂社の中に月読神社(九州王朝に関係あり)もあり,

本来はこちらが主であったのを,近畿王朝の支配の時代になって,スサノヲからアマテラスに主役が変わったのではないかと思った。

浦和仮説サークルでも話に出た「調神社の方位」についてグーグルで調べてみた。

Img_4041

本殿を中心と考えると西偏の神社だが,本来は東偏の官衙だったのかもしれない。

Img_4373

入り口に掲示されている由来を写真で撮ってきた。

写真をクリックすると拡大します。

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コメント

こんばんは!「ひぼろぎ逍遥」サイトのリンクから来ました。
肥後の「肥さん・・」かと思ったら、違ったかな?

「調(つき)神社」ネタだったので、書き込みました。
「調神社」へは二度訪れました。良い所ですね。
近くの鰻屋とセットでしたが。
鰻屋なのに別の魚の「音」を書く店名だったような。

神社といえば是非「武蔵国阿蘇神社」をお勧めします。
社名からわかりますように、九州熊本ゆかりの神社です。
創建年からすると、関東でもかなり早いと思います。
ご存知だったら、失礼!

山の肥後人さんへ
コメントありがとうございます。

〉 武蔵国阿蘇神社

情報をありがとうございます。
さっそく検索してみたいと思います。

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