讃岐国府(西偏)の下層から,正方位の正殿が・・・
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肥沼さんへ
上の図をよく見ると、正殿と思しき大きな東西棟の南に、幾棟も正方位もしくはほぼ正方位と思しき建物があるのがわかります。
この図の中の大きな黒丸で柱穴を図示した建物がそれです。
そしてこの正殿の南にある正方位またはほぼ正方位の建物は、西偏の大きな建物群の下にあることが下の図でわかりますね。
ということは正方位の建物群が西偏の建物群の下にあって先行する遺構だということを示しています。
投稿: 川瀬 | 2019年9月26日 (木) 00:15
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 上の図をよく見ると、正殿と思しき大きな東西棟の南に、幾棟も正方位もしくはほぼ正方位と思しき建物があるのがわかります。
この図の中の大きな黒丸で柱穴を図示した建物がそれです。
そしてこの正殿の南にある正方位またはほぼ正方位の建物は、西偏の大きな建物群の下にあることが下の図でわかりますね。
ということは正方位の建物群が西偏の建物群の下にあって先行する遺構だということを示しています。
ということは,ますます「方位の考古学」を支持する証拠が残っているということですね!
群>個ですから。
投稿: 肥さん | 2019年9月27日 (金) 05:23