東山道武蔵路も100年遡ることになる
「「方位の考古学」の破壊力を肥沼さん自身がまったくわかっていない!」と
川瀬さんからきついコメントされてしまった。
というのも.5年前に書いた「古代日本ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?」では,
年代比定として,「7世紀第3四半期」としたのだが,
それは土器編年の数値をそのまま利用したもので,これも100年ずらす必要が出てくるからだ。
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7世紀第3四半期(651~675年)→ 6世紀第3四半期(551~575年)
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白村江の戦いの直前どころではなかった!
それはまさに.北周による華北統一(577)の動乱期から隋の中国統一(589年)へ向かう直前なのだった。
この動き感じた九州王朝が作った軍用道路,それが東山道武蔵路を含む,全国6300キロにもおよぶ古代官道だった。
「振り上げた刀が,遠心力によって,やがて自分の方に向かってくる」と聞いたことがある。
自分の振り上げた刀(方位の考古学)によって最初に切られ(裁かれ)たのは,まさしくその張本人だった。
東山道武蔵路の「東(あずま)の上遺跡」
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