« 今夜の月 8/14 | トップページ | 泉官衙遺跡は「貞観地震」に遭っているのか? »

2019年8月15日 (木)

人間の充電率

スマホには,充電率が表示されていて,

「もうそろそろ充電した方がいい」とか「今日一日はもつだろう」とか,

判断できるようになっている。

人間の場合はそうはなっていないので,自分では充電の必要を感じているのに,

他の人からは信じがたいことだったり,

逆に危険域を通り越して頑張り過ぎて,若くして亡くなったりする。

だいたい過労死をするのは,「頑張れる年代」だそうで,

私はもう通り過ぎているから,過労死の心配はないと思うが,

充電するはずの電池自体がもう「寿命」だったりするかもしれない。

ということで,遺跡精査の方はお盆休みをいただいて,

川瀬さんにもいろいろお手間をかけましたが,

明日から遺跡精査を再開したいと思います。

ロケットスタートはできないと思うので,気長に加速をお待ち下さい。

そういえば,老人の「急速発進」による悲惨な事故のニュースでよく出てきますしね。

« 今夜の月 8/14 | トップページ | 泉官衙遺跡は「貞観地震」に遭っているのか? »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 私には充電するということ自体が信じられない。
 そりゃ、いろいろ嫌になることはあります。辞めたいことはあります。特に認知症がひどくなった母の介護など、何べんも辞めたくなります。でもこの程度のことは、ちょっと気分転換すると直ります。
 気分転換は大事です。
 同じことばかりをやっていると、だんだん行き詰ってきて、頭が体が働かなくなる。だから根を詰めないで、他のことをやって気分を変えることは、有効です。
 充電=気分転換、ならわかりますが。

 確信をもってやっていることならば、世間の評判など関係ない。たとえほめてくれる人がいなくても関係ない。
 いまやっていることに確信がないと、周囲の評価が気になるのでしょう。

 肥沼さんが見つけた「方位の考古学」という方法。これは画期的です。
 画期的な発見や学説は、大概周囲には受け入れられないものです。あまりに先を行きすぎているので、同調できないのです。「方位の考古学」が古田史学系でもなかなか受け入れられないのは当然です。
 九州王朝が6世紀半ばに宮や官衙を東偏に変えたのはほぼ確実。これは年号を持った時期とも重なるし、天皇号を使い始めた時期、さらに日本国を名乗り始めた時期とも重なります(書紀でいうと継体紀だ)。これは朝鮮半島の支配権をめぐって高句麗や新羅と戦い、支配権を中国南朝に認めてもらおうとしたが認められず、やむなく中国からの自立を図った動きと一致します。
 九州王朝が宮や官衙を正方位に作り変えたのは6世紀末から7世紀初頭。これは中国に蛮人による統一王朝が出現した時期に対応します。隋王朝の出現と南北統一です。九州王朝は自らも天子を名乗り、隋に対抗しようとした。隋書にみえる「日出るところの天子・・・」の国書が象徴的です。
 この九州王朝における東偏の出現=6世紀半ば、正方位の出現=6世紀末から7世紀初頭を基本にして、全国の古代寺院と官衙遺構を精査してみると、土器や瓦による相対編年(飛鳥を日本の中心としての編年)は、九州や関東東北という東西で約100年、中国四国や中部という中間地点で約50年後ろに年代がずらされていることは、ほぼ証明できたと思います。
 したがって年代が不明の寺院や官衙の場合、その方位で年代を特定することが可能になります。
 たとえば国分僧寺・尼寺。
 聖武天皇の詔で作られたという誤解から、従来は8世紀半ば以後とされた。しかし出土瓦には白鳳期の瓦もあり、さらにもっと古い飛鳥初期の素弁蓮華文軒丸瓦まで出てくるので、考古学と文献があわない。
 だが国分僧寺・尼寺には、東偏のもの正方位のもの西偏のものがある。この方位の違いと伽藍配置の違いを基本にして、さらに瓦や土器を組み合わせれば、国分僧寺・尼寺の創建年代を確定することはできる。
 東偏のものは九州王朝が宗主権を持っていた時代の6世紀半ば~7世紀初頭の時期に作られたもの。
 正方位のものは、九州王朝が宗主権を持っていた時代なら、6世紀末から7世紀中頃のもの。ただし近畿王朝が宗主権を握った8世紀で中央政府が建立に深くかかわったものにも正方位がある。
 西偏のものは、中央政府がほとんど関与せずに地方勢力が磁石を使って作ったもの。時代は様々あるが、一つは、九州王朝から近畿王朝への移行期。7世紀中頃から末。もう一つは近畿王朝の時代の8世紀。
 こういうようにわけることができます。
 すでに太宰府もその始まりは6世紀後半にあり、朝堂院様式の政庁と条坊が作られたのは、7世紀第一四半期から第二四半期であることも明らかだ。通説は100年ずらされている。
 この理解にたつと、書紀孝徳紀に「新制=改革」が宣言され、中国のような都城を建設するとしていることとよく符合する。
 「方位の考古学」は古代史のさまざまな謎を解くカギになると確信します。

 世間の評判など気にせず、残された精査を仕上げましょう。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

生きているうちに,そしてまだ2人とも元気なうちに,
歴史解明の仕事に取り組めるチャンスを得て,
本当に有難いことです。
今後ともよろしくお願いいたします。

充電=気分転換ということかもしれませんね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 今夜の月 8/14 | トップページ | 泉官衙遺跡は「貞観地震」に遭っているのか? »

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ