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2019年8月28日 (水)

私の「取り柄」

私は研究のプロではないので,研究者の事情はよくわからない。

これまでよく言われたのは,「それの史料的根拠はありますか?」とか,「遺跡の年代が合いませんね?」というものだった。

文献をやっている人は,史料が勝負と思っているらしく,それなしに戦うのは無理と思うらしい。

また,考古学の方面の人は,土器編年に縛られていて,年代が合わないと知ったとたん門前払い。

「素人とは話をしたくない」みたいな顔になる。

なので,私の強みは「これまでの人たちにとって,ハードルとなっていたことを知らない」という素人の強みだ。

史料がなくても,絶対もとになる事実はあったはずだという信念。

年代が合わないのは,編年自体がおかしいのかもしれないという図々しさ。

もしかしたら,板倉さんの発想法を知らず知らずのうちに学んでいたのかもしれない。

川瀬さんに府中研究会の時などによく言われた気がするのだが(違ったらごめんなさい),

「肥沼さんは知らない強みでやっている」という感じが自分でもある。

(これでも社会科を36年教えてきましたけどね)

研究者の川瀬さんからしたら,「こんなことも知らないのか」と数えきれないほどのため息をついたと思うが,

私の取り柄は「豊かな知識とあふれる教養」ではなく,「子供のような好奇心と柔軟な脳みそと知らない強み」ですので。

今後ともよろしくお願いいたします。

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コメント

肥沼さんへ

 肥沼さんの取り柄は、「子供のような好奇心と柔軟な脳みそと知らない強み」ではなくて、「子供のような好奇心と知らない強み」だと思います。
 脳みそはわりと固い。思考に幅が無い、柔軟性がない。何でも覚え込もうとして、余計な定式を作ってかえって思考の自由さを奪っている。

 そして「知らないことの強み」は、へたをすると自分のやっていることの意味すら分からない無知に陥る危険があることを自覚すべきです。
 聖武詔で編年されている武蔵国分寺の年代観を、単純に100年遡らせてしまうなど、無知の極みです。
ただこの凡ミスも、そのまま気が付かずに「自慢げに」ブログに表明されるので、すぐさま訂正できるというところは、逆に強みではあります。
 だが私に凡ミスを指摘され続けると、心がすぐに折れてしまう弱点もある。

 肥沼さんはスコアボード越えの大ホームランをしばしば打ちますが、その裏には数えきれないくらいの三球三振=チャンスに凡打を繰り返す、があるわけです。自分はその程度だという自覚が必要でしょうね。
 これを減らすには、思いついたことをすぐ発表してしまわないで、一呼吸おいて深く考えること。
 これができるようになれば、一人前の研究者です(今は他人に助けられている、半人前)。

>これでも社会科を36年教えてきましたけどね
 これがかなり恐ろしい発言であることに、まだ気が付いていないね。
 どれだけたくさんの間違ったことを生徒たちに教えてしまったことだろうか・・・・・・。またどれだけたくさんの生徒たちの素敵な気づきに気が付かず、埋もれさせてしまったことだろうか。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 肥沼さんの取り柄は、「子供のような好奇心と柔軟な脳みそと知らない強み」ではなくて、「子供のような好奇心と知らない強み」だと思います。
 脳みそはわりと固い。思考に幅が無い、柔軟性がない。何でも覚え込もうとして、余計な定式を作ってかえって思考の自由さを奪っている。

それは「川瀬さんに比べれば」ということだと思いますが。

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