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2019年8月27日 (火)

下野国府の年代比定

泉官衙遺跡の比定は「歴史のモノサシ」と呼んでいいくらいピッタリだった。

2つの王朝の「栄枯盛衰」が見事に地下のキャンバスに描かれていたのだった。

あまりに泉官衙遺跡が見事な「絵」を残してくれていたので,

下野国府の年代比定もしておこう。

「方位の考古学」によれば,関東・東北では100年編年がズレていると考える。

そこで100年引くと,Ⅰ期の正方位はやはり九州王朝が建てたものと考えるべきという結論。

(8世紀前半➙7世紀前半なので,600年頃)

Ⅱ期・・・最初は掘立柱だが,焼失があり,瓦や礎石が登場してくるので権力交替か。近畿王朝へ。

(8世紀後半➙7世紀後半なので,白村江の戦いの頃)

Ⅲ期・・・サイズアップ+礎石化進む。

(9世紀代➙8世紀代なので,701~800年)

Ⅳ期・・・なぜか石敷遺構があって謎なのだが。

(10世紀前葉はそのまま,901~950年)※ 太宰府と泉官衙の精査による

この遺跡,正殿にあたる場所が神社となっており発掘が出来ないということだが,

地中レーダーとかだったら御迷惑にならないと思うのだが,いかがかな。

Img_4255

さて,Ⅰ期が7世紀前半となると,その前の東偏時代もこの地に求めたくなる。

その候補はやはり,大宮神社や印にゃく神社などを北側に持つ,東偏の地区ではないだろうか。(D地区)

ほかに東偏の候補がありますかね?

Img_4253

 

 

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コメント

肥沼さんへ

 Ⅳ期の年代が違うと思います。
 従来の編年でここは10世紀前葉。編年が100年ずれるのは、泉官衙遺跡と太宰府遺跡の精査から、9世紀台までと判断していますので、Ⅳ期はそのまま10世紀前葉となります。

 下野国府Ⅰ期政庁が7世紀前半となると、これ以前では国府そのものがまだないかも知れませんね。
 下野国府がある評(郡)の評衙でしょう。
 候補地としてはD地区だと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  下野国府Ⅰ期政庁が7世紀前半となると、これ以前では国府そのものがまだないかも知れませんね。
 下野国府がある評(郡)の評衙でしょう。

ああ,そういう議論でしたね。

〉  候補地としてはD地区だと思います。

木下良さんが,『国府』の本の中て,
東偏のD地区を候補としたのは,どうしてなのでしょうね。

肥沼さんへ

>木下良さんが,『国府』の本の中て, 東偏のD地区を候補としたのは,どうしてなのでしょうね。

 木下さんには都城の方位という視点はありません。このD地区は大宮神社という、国府中心という意味の名称を持った気になる神社があり、すぐ北に印役神社という国衙の印を保管したと思える神社があるからだと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  木下さんには都城の方位という視点はありません。

そうですよね。それは一元史観の限界なのかもしれませんね。

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