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2019年8月14日 (水)

国家命令は,どのくらい「遅く」伝わることが許されるのか?

編年と「方位の考古学」との間に100年ギャップがあることを,皿洗いをしながら考えていた。

すると,こんな考えが思い浮かんできた。これどうですかね。

「国家命令は,どのくらい「遅く」伝わることが許されるのか?」という例えです。

どういうことかというと,編年はその土器や瓦の流行が

中央から地方へ伝わっていく形をとるので,どうしてもゆっくりゆっくりとなる。

我々が奈良や京都に歩いていく(這っていく,カタツムリの歩み)ような遅々たる歩みである。

それに対して,東偏にさせたり正方位にさせたりというのは,

明らかに流行ではなく国家命令なのであるから,たちどころに伝わらないと意味がない。

「東偏はかっこいいと思うけど,正方位は好きじゃない」とかの好みの問題ではなく,

這い這いやカタツムリの歩みに対して,古代官道を疾走する駅馬のように素早く伝わらなくてはならないのだ。

だから,問題としては,瞬間移動する国家命令(タイムラグなし)がある一方で,

その意義を再考されなければならないのは,逆に「編年」をもとにした年代判定の側だと思うのだ。

この思いつき,どう思いますか?

 

【編年】・・・這い這いやカタツムリのスピード(ゆっくりゆっくり伝わる) 

【国家命令(東偏・正方位)】・・・~~~~~~~~官道を疾走する駅馬のスピード(たちどころに伝わる)。そのために官道はある。

このスピードの差が,地方では50年,100年のギャップになってくる。

したがって,その差を「引き算」すれば,歴史を復元できる。(8世紀初頭-100年→7世紀初頭)

※ 九州100年 ← 四国・中国50年 ←【奈良】→ 中部50年 → 関東・東北100年

 

【泉官衙遺跡の変遷図は,2つの王朝の「栄枯盛衰」を表していたか?】

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2019/08/post-aab7bf.html

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 なるほど。国家命令の伝搬と文物の伝搬の速度の違いね。
 だが一般的な文物の様式の伝搬速度と、国家事業における文物の様式の伝搬速度の違いを、従来の考古学は無視しているのだと思います。
 前方後円墳という葬送形式の伝搬。そしてその副葬品でもある須恵器の伝搬。さらには寺院建設とその瓦である素弁蓮華文軒丸瓦の伝搬。
 全部これは政治がらみの国家事業。人から人へと真似して文化が伝わるのではなく、国家が文化を地方に広める事業。速度は速いわけ。

 面白い例を見つけました。例の信濃の明科廃寺の年代。
「昭和28年の第1次、2次調査では、出土した瓦の様式から第一型式を自鳳様式とし、若干時期が遅れる可能性を指摘しながらこの時期の創建、出土した土器類の年代から平安時代まで存続した寺院であろうと推定している。
今回の調査で出土した須恵器は7世紀後半のものが最も古い時期のものであり、桜坂古窯址の出土土器類も7世紀後半から8世紀前半に同定されることから、明科廃寺の創建時期は7世紀の後半、それも第3四半世紀であろうと推定される。桜坂古窯址の時期からすると、7世紀後半から8世紀初頭にかけて50年近い歳月をかけて作られた寺と考えられる。天狗沢瓦窯跡の報告書(櫛原,1990)によると、特徴的な明科廃寺の第一型式の瓦と類似する瓦の出土しているのは、前述の飛騨寿楽寺廃寺と山梨県天狗沢瓦窯址で、その系譜をたどると滋賀県衣川廃寺I類にその類似性を求めることが可能で、衣川廃寺I類の時期は620~ 640年頃に位置づけられ、衣川廃寺一杉崎廃寺一明科廃寺一天狗沢窯址と東山道ルートによる技術の伝播が見られ、天狗沢窯址の操業開始年代は7世紀第3四半世紀としている。 (「明科廃寺址」2000.3明科町教育委員会)」

 明科廃寺の特徴的な明科廃寺の第一型式の瓦(これが素弁蓮華文軒丸瓦)の類を辿ると、滋賀県衣川廃寺I類にその類似性を求めることが可能で、衣川廃寺I類の時期は620~ 640年頃に位置づけられると。
 この衣川廃寺Ⅰ類の時期に注目してください。まさに7世紀初めから前半。
 明科廃寺の柵列から見つかった炭化物の放射性炭素測定による年代は、「6世紀中ごろから7世紀前半ごろ」。つまりこの放射性炭素の年代を元に明科廃寺の年代を考えれば、衣川廃寺とほぼ同時代。
 したがって従来説では「衣川廃寺一杉崎廃寺一明科廃寺一天狗沢窯址と東山道ルートによる技術の伝播が見られ、天狗沢窯址の操業開始年代は7世紀第3四半世紀としている。」と瓦の伝搬に2・30年見ているのですが、この考え方が間違いだということを、放射性炭素測定の結果は示しています。
 素弁蓮華文軒丸瓦の製造技術は、国家権力によって、一元的に全国に広まったと考えるべきです。

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