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2019年8月20日 (火)

『発見!古代のお触れ書き』

平川南監修,(財)石川県埋蔵文化財センター編,大修館書店刊,

1400円+税の上記の本を入手した。

この「お触書」は1999~2000年に石川県が行った

加茂遺跡の発掘によってもたらされた。

なんと1200年近く前の849年の立て札が出土したのだった。

(大きさは,縦23・3cm,横61・3cm,厚さ1・7cm)

平安時代前半のもので,当時の政治のやり方が今と同じ「文書主義」

だということも分かって興味深い。

ということは,「東偏」や「正方位」のお達しも同様に行われたかもっ!?

内容は,江戸時代の「慶安のお触書」みたいな感じで,

朝早く起きて夜遅くまで働けとか,魚を食べたりや酒を飲んだりすることを慎めとか,

5月30日までに田植えを終えろ,などなどです。

時代は変わっても,支配する者の言うことは変わらんという感じです。

(もしかしたら学校の先生も・・・ドキっ)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 興味深い史料が出てきたものですね。内容は要するに、遊ばずちゃんと農業に勤めろということか。
 849年。ちょうど寒冷化が進んでいる最中のこと(今の温暖化は1870年頃から開始。其の前の1000年ほどが寒冷期なので、始まりは870頃。其の前の200年間が寒冷化の時期。つまり670年頃から寒冷化が始まったわけだ)。ちょうど寒冷化の最後の時期だから、きっと今と同じように、気候が激変して、天災が多かったのだと思いますね。
 歴史年表をみると、この前年に「上総国の俘囚丸子廻毛ら反逆」との記事があります。そして849年4月には「諸国の穀価を改める」との記事もあります。穀物の取れ高が今までの例年の状態とは変わっていたのではないでしょうかね。そのため蝦夷の国から上総に移された「俘囚」らが待遇の改善を求めて反乱を起こした。
 この高札の背景は、こんなところでしょうか。
 その本に背景をどう書いているかが知りたいですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

この本に載っている年表には,飢饉や天変地異がたくさん出ています。
同じところに年表を写真で入れてみます。

肥沼さんへ

 この掲示が出された前後の年表ありがとうございます。やはり気候の激変の性で、何年も飢饉や干ばつが続いていたのですね。 
 だから第五の条に、他の村に紛れ込んで、その村人のふりをしている挙動不審の者を逮捕せよとの命令があるわけだ。飢饉や干ばつ続きで税を納めることができないので、班田農民の地位を捨てて他村や他郷・他国に逃げ出し、その有力者の奴婢などになって危機を凌ごうとする人が多数いたわけだ。

 この触書は見事な漢文。
 誰が読むのかと思ってよく読んだら、あて先は「諸郷の駅長や刀禰」とありますので、要するに村落の役人たちなのですね。役人達ならば、公文書を扱っているわけだから、漢文の読み書きくらいはできるわけだ。

 それにしても年表にある8か国に甘露降るというのはどういう現象なんでしょうね。
 文字通りに仁政を示す吉兆として、天から甘露が降ってくるということなのか(そんなことありえないよね)。それとも「甘露の雨」という言い回しで、「天の恵みの雨」と同義で、干ばつになりそうなときにタイミングよく雨が大量に降って干ばつを逃れたということでしょうか。
 年表を見ていると長雨が続いたかと思うと干ばつになりと、天候がくるくると変化している。その中の一つの現象として干ばつを救った恵みの雨という意味で「甘露降る」と何かの記録に残されたのでしょうね。

追伸
 「甘露降る」でネット検索したところ、次のような新聞記事を引用したサイトに出会いました。

 長野県下下水内郡豊津村は西方一帯丘陵に包まれ、東方は千曲川の清流を隔て広野を控えたる肥饒(こへたる)の地なるが、去年二十五日午後二時頃、如何なる故にや至る所の草木の葉に甘液の潤をへるを見出したり。

中に就いて最も甘液の多きは笹の葉、桜の葉等なり。此の液の発し居る葉面は何れも皆な温然たる光沢を帯べり。試みに之に手を触るれば頗(すこぶ)粘着力ありて、指頭に附着す。また之を嘗むれば甘味著しくして別に臭気もなし。村民之を名付けて甘露と做(な)せり。

同地方にて古来の言い伝へに拠れば草木の葉面に斯かる甘液発するは豊作の兆候なりと云ふ。さりながら桑葉に発する時は頗る蚕に害を与ふる由。同所の大日本農会員なる竹内栄三郎氏より同会へ充てこれらの甘液は如何なる原因より生じ如何なる利害を有するものなるやを問い合わせ来れり。(郵便報知新聞 明治二十一年六月九日)
 http://konjakudou.seesaa.net/article/37489031.html
 新聞にも掲載された事件だから、本当にあるのかもね?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

私も「干ばつを救った恵みの雨」くらいに思っていましたが,
本当に「甘露の雨」という現象があったと・・・。(驚)
まさか「カンロ飴」というのは,それを商品化したものではないですよね。(笑)

肥沼さんへ

 甘露が降ったという明治21年。1888年。この年の50年ほど前は天保の大飢饉。そして100年ほど前は天明の大飢饉。そしてこの年の50年ほど後は、1930年代の昭和の大飢饉(東北の冷害)。
 日本では飢饉は50年ほどの間隔で起きています(すくなくとも近世江戸時代の記録では)。
 天明の大飢饉の50年ほど前には享保の大飢饉。その50年ほど前は元禄の大飢饉、。そしてその50年ほど前は寛永の大飢饉。
 この50年ほどの間隔は、太陽黒点の増減がおよそ7年の周期だということの倍数として理解できます。つまり7×7=49。太陽黒点が少ないということは太陽の活動が弱った証拠で、地球に届く太陽エネルギーが減るので、地球の平均気温が下がるわけ。そして50年に一度ほどは、太陽黒点がまったくなくなる時期もあることが観測されていて、これが何年も続くこともわかっている。2000年から現在まで、太陽黒点はほとんどない。
 こうなると地球は小寒冷期に突入して天災が多くなる。
 2019年の現在は、1500年周期で起きる温暖化・寒冷化の周期の中の、19世紀後半から200年ほど続く温暖化の最終段階にあり、その中でも40~50年周期の小寒冷期にあると、気象学的には理解されます(先の50年周期の飢饉を例にとると、昭和飢饉のあとは1980年代、その次は2030年代です。戦後に飢饉がないのは、寒冷化に強い品種の稲を開発したので【農林一号→コシヒカリ等】、飢饉になるほどの長期の寒冷化があっても稲の収穫が昔のように落ちないので飢饉にならないから)。
 明治21年の前後には異常気象が見られ、ちょうど今この年から新聞を読んでいるのですが、24年まで毎年のように各地で大洪水が起きている。ちょうど小寒冷期に入っていたのでしょう。
 もしかして「甘露が降る」という現象は、このような時期に特有の現象なのかもしれませんね。
 気象学の方では明らかにできているのだろうか?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

気象学からの歴史へのアプローチがあれば,
本を読んでみたいです。
それにしても,自然の力の前にはなかなか人類は勝てないものですね。
しかし,寒さに強い品種の開発という形で,
最近のピンチを乗り越えてきたのは素晴らしいと思いました。

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