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2019年9月 1日 (日)

「方位の考古学」要旨と資料  【9/1改訂】

上記のものを作ってみた。

以下に載せます。

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「方位の考古学」 肥沼孝治

 

(1) 2016年にスタートした多元的「国分寺」研究と並行して,その延長として武蔵国府の研究を行っていた。すると,磁北が西偏の古代(450〜1150年)=700年間の中で,明らかに「東偏正方位」とする政策がとれらていることを見出した。この時代日本列島の主権者は九州王朝であり,倭の五王が使いを送ったのも彼ら(隋書タイ国伝)。調べてみたら中国・南朝の都も東偏だった。

 

(2)そこで,武蔵国府の方位が「東偏正方位」となっているのを確認した後,全国の古代遺跡を精査すべく,奈良文化財研究所のデータベースに立ち向かった。そして,1000件を超える精査の中で,2つの大きな流れを確認することが出来た。

 

(3)九州王朝における寺院や官衙の方位の変遷は以下のようにまとめられる。

   6世紀中頃まで:西偏(これは方位磁石に従ったもの)

   6世紀中頃以後:東偏(これは中国南朝の設計思想に倣ったもの)

   6世紀末から7世紀初頭:正方位(これは中国隋王朝の設計思想に倣ったもの)

   九州王朝における方位の変遷がよくわかる遺跡として「小郡官衙」遺跡がある。資料に付けるので,参照のこと。

 

 以上のようにきわめて短期間のうちに、寺院や官衙の設計思想に変化がみられる。全国の寺院や官衙の方位の変遷は、九州王朝中枢域におけるその変遷とほぼ同じである。

また,九州王朝が、西偏東偏正方位と寺院や官衙の設計思想を変化させたなかで、近畿天皇家がこれと異なる動きをしていることが、奈良県(大和)や近畿王朝の畿内地域の古代寺院官衙の方位の精査から明らかとなった。

   6世紀末ごろまで:東偏(これは九州王朝に倣ったもの)

   6世紀末から7世紀後半まで:西偏(あえて方位磁石に従って作った。九州王朝からの独自の動きか)

   7世紀後半から:正方位

 

そして,精査する中で,九州←←中国四国←←畿内(大和)→→中部→→関東・東北

                  100年   50年       50年    100年

のように,編年がずらされているのを確認することが出来たのであった。(実年代はその分を遡らせてやる。

ただし,国分寺は「聖武天皇の〈国分寺建立の詔〉」に縛られいるので,別の方法で)

 

(4)泉官衙遺跡の遺構変遷図は,2つの王朝の「栄枯盛衰」を表しているのではないか?

精査の途中で,私たちは不思議な遺跡と出会うことになる。

藤木海著『南相馬に躍動する古代の郡役所・泉官衙遺跡』(新泉社)である。

この遺跡は,「7世紀後半に東偏でスタート」しているのだが,東北なので100年引くと,6世紀後半。「8世紀初頭に正方位に切り替える」のだが,それも7世紀初頭に。「8世紀後半(7世紀後半)にはサイズアップした近畿王朝の正方位が登場」するも,9世紀後に一体一関係にあった製鉄遺構とともに突然廃絶。同じく一体の関係にあった内陸の製鉄遺構はそのまま継続しているので、9世紀末の貞観津波で被災して廃絶したと思われる。 

これらが,1つの遺跡の遺構変遷図に刻まれ,現在に伝わっているとは,本当に奇跡というしかない。

 

(5) 私たちは,相手の勢力を皆殺しにしたり,関連書物を焼いたりすれば,完全犯罪が出来たと思いがちである。

しかし,遺構の方位は地下に残され,辛抱強く本当の歴史が明らかにされるのを待っているのではないか。

私たちは「方位の考古学」を進めるなかで,何回も「遺跡は嘘をつかない」と言い合ったものだった。

 

(6) もしこの「方位の考古学」が認められると,大変大きな影響をもたらすことになる。現に私もその一人なのだが,

これまで編年で時代を表してきたものは,当然変更を迫られるのだ。場合によっては,それを作った勢力の変更も。

私の場合は,東山道武蔵路の年代を,従来の7世紀第3四半期との土器編年に従っていたが,これが6世紀第3四半期に

変わるので「白村江の戦い直前」から,「台頭する北周や隋に対抗して」というように変更させられた。(この方がリアルだ)

そして,同様に太宰府についても,従来は書記の記述や土器編年に従って7世紀末に編年されていたが,

これが,「100年遡って6世紀末に太宰府が成立」となるわけとしたら,通説の崩壊も起こらざるを得ない。

等々いろいろなことが起きてきますが,「論理の導くところへ行こうではないか。たとえそれが,いかなる所に到ろうとも」(ソクラテス)です。

ぜひ,「方位の考古学」への御支持やご声援をいただければと思います。

(川瀬健一さんには,多元的「国分寺」研究から始まり「方位の考古学」に到るまで,共同研究者としてさまざまにご指導いただいた。ありがとうございました)

 

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【東偏や正方位の変化が良くわかる例】

Img_3847_20190821021601

A 泉官衙遺跡(福島県)

九州王朝の東偏・正方位→近畿王朝の正方位

 

Photo_20190821062901

B 小郡官衙遺跡(福岡県)小郡屯倉➙孝徳紀の小郡宮か

西偏➙東偏➙正方位

 

Photo_20190821070301

C 有田・小田部遺跡(福岡県)孝徳の難波長柄豊崎宮か

3種類の方位が混在している(右下の西偏が豊崎宮)

 

Photo_20190821064401

D 東偏していた時代もあった斎宮(三重県)2019・1・5の新聞記事

Naikakuminami

E  飛鳥宮(後岡本宮):西偏⇒正方位への変遷が分かる遺構。

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【参考資料】

Svc1562714926 

F 450~1150年の日本列島が,磁北で「西偏」だったことの証拠

(岡山理科大学の磁気偏角データベース)

 

Photo_20190821093901

G 「東偏5度の寺院・官衙・街並み・・・」

「東偏・僕」と称して,あちこちに東偏遺跡を探した。

その頃は,東偏=九州王朝の証拠と考えていたので(半分は当たっていたと思う)

まだ確認が必要だと思っているが,その数はたくさん増えている。

 

Photo_20190821071401

Hー1 中国の南朝の都(建康)は東偏だった(点線のところ)

5世紀に送られた倭の五王の使いは,それを学んできた。

 

Img_4276

Hー2 後漢・魏洛陽城の東偏都城

後漢・魏洛陽城:南北に連なる地壇ー王宮ー天丘の線を基準とした都城の出現

(東偏都城のはじまり)

 

Img_4204

I 天を祀る「円丘祭祀」の歴史的変遷を元に、

後漢から隋唐までの中国の都城設計思想の変化を明らかに。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 私の名前を冠さなくても良いです。私がセミナーで発表するわけではない。最後にかっこ書であるところに、「さまざまご指導いただいた」と書くだけで良いです。

 もう一点訂正を。4の泉官衙の箇所。
 「律令制の衰退に伴って廃絶。」というのは肥沼さんの古い解釈。先日本を精査してみてわかったことは、この遺跡は9世紀後半に突然廃絶していること。しかも一体の関係にあった金沢製鉄遺構も同時期に廃絶しているが、同じく一体の関係に有った内陸の製鉄遺構は健在でそのまま12世紀ぐらいまで続いているという事実を確認した。発掘報告者は、貞観津波で沿岸部の郡衙と製鉄工場が被災して廃絶した証拠である可能性があるとしていました。
 したがってここは
 「9世紀後半に一体関係にあった製鉄遺構とともに突然廃絶。同じく一体の関係にあった内陸の製鉄遺構はそのまま継続しているので、9世紀末の貞観津波で被災して廃絶したと思われる。」に訂正しておいてください。

追伸
 もう一か所説明を訂正。
 参考資料の
 H 中国の天子も苦労した➙「天丘祭祀」(人工的に正方位を作る方法)

 →天を祀る「円丘祭祀」の歴史的変遷を元に、後漢から隋唐までの中国の都城設計思想の変化を明らかに。

 に訂正してください。

 そしてHに付属する資料として、「I 後漢・魏洛陽城の東偏都城」の図面を入れると良い。
 後漢・魏洛陽城:南北に連なる地壇ー王宮ー天丘の線を基準とした都城の出現(東偏都城のはじまり)と解説をつけてください。


あと史料があればですが、近畿天皇家の宮で、東偏⇒西偏⇒正方位の変遷を示す遺構があれば最高です。
 西偏⇒正方位を示す遺構は、飛鳥宮(正方位の後岡本宮とその下層の西偏遺構)があるが。
 これを掲載しておくと良いかもしれない。
 飛鳥宮(後岡本宮):西偏⇒正方位への変遷が分かる遺構。と説明を付けて。

追加の追加訂正

4の泉官衙の説明文の中。
>。(その後,九州王朝の滅亡に伴って廃絶)
 これは間違いです。
 九州王朝から近畿王朝への移行は平和的な禅譲の形をとっている。書紀では持統から文武へ譲った形にしてあるが、天皇位を譲ったのは持統ではなく九州王朝の天子(名前不詳)。
 だから九州王朝の官衙は官人群とともにそのまま継承されたはず。
 大規模な正方位への変化は、建て替えでしょう。
 ここ書き直しておいてください(前に気が付けばよかったな)

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 そしてHに付属する資料として、「I 後漢・魏洛陽城の東偏都城」の図面を入れると良い。
 後漢・魏洛陽城:南北に連なる地壇ー王宮ー天丘の線を基準とした都城の出現(東偏都城のはじまり)と解説をつけてください。

これは何ページの図面になりますか?

肥沼さんへ

>※ 九州王朝から近畿王朝への移行は平和的な禅譲の形をとっている。
 以下の注は出さない方が良いと思います。問題が広がりすぎ。
 古田史学の内部ではこの移行が、禅譲なのか放伐なのかという論争があって決着がついていないという状況があるのをご存知でしょうか。
 このためこういう論争を呼ぶことはあえて書かない方が良いと思います。

>、「I 後漢・魏洛陽城の東偏都城」の図面
 この図面を見つけていないのかな? 1ページで入ると思いますが。

追伸
 
 漢魏洛陽城の図面のありか。

 佐川英治さんの論文「曹魂太極殿の所在について」の後ろのほうに史料として詳しいのが掲載されています。p40です。
 http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/1/19891/20160528001810231288/015_019_042.pdf

「千年帝都 洛陽」のp74には、この漢魏洛陽城がどのように拡大したかが分る図面が乗っています。西周時代→東周時代→秦時代と。そして秦時代のものが漢時代に再利用された。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

これは『中国古代都城の設計と思想 円丘祭祀の歴史的展開』P110の図と同じですね。

肥沼さんへ

 要旨と資料、これで完成ですね。
 そこで発表当日を想定して、質問をいくつかしますのでお答えください。

1:畿内を中心として東西で100年中間地帯で50年編年がずらされていることがわかったというが、このずれの年代をどのようにして測定したのですか?

2:九州王朝の方位の変遷を、6世紀中頃を画期としてそれ以前を西偏、それ以後を東偏と判断した根拠はなんですか。同じく6世紀末から7世紀初頭にかけて正方位に替えたと判断した根拠はなんですか。

3:近畿天皇家は6世紀末までは九州王朝に倣って東偏だったが、その後は西偏に変更したとの判断の根拠はなんですか。また7世紀後半からは正方位に替えたとの判断の根拠はなんですか。

4:この50年から100年編年がずらされている現象は、実年代で、いつ頃からいつ頃まで続いたのでしょうか。

5:九州王朝が6世紀の中ごろに中国にならって東偏に変更したことの意味は何だとお考えですか。
同じく6世紀末から隋王朝の設計思想にならって正方位に替えたことの意味は何だとお考えですか。

6:太宰府の編年が7世紀末ではなく6世紀末に遡るとのことですが、これによって従来の太宰府理解にどのような変更が生まれるのでしょうか。

7:資料のB小郡官衙遺跡を、書紀孝徳紀にある小郡宮とした根拠はなんですか。

8:資料C有田・小田部遺跡の中の西偏の官衙を孝徳の難波長柄豊碕宮とした根拠はなんですか。

9:資料Fの岡山理科大学の磁気偏角データベースは、どのようなデータに基づいて算出したものなのでしょうか。またこの信憑性はどの程度なのでしょうか。

10:中国南朝や後漢・魏の都が東偏で作られた理由はなんでしょうか。またそれが隋以降は正方位に変わる理由は何でしょうか。

11:資料のH2の漢魏洛陽城ですが、ここは南北に連なる地壇ー王宮ー天丘の線を基準とした都城の出現(東偏都城のはじまり) と説明されていますが、王宮は明示されていますが、地壇と天丘は明示されていません。どこにあるのでしょう。また王宮が二つ南北にあっても東西にずれていますので、この都城の中心の南北の軸線はどれでしょうか。

12:九州王朝は南朝や隋に倣って都を東偏や正方位にしたといいますが、九州王朝の都である太宰府には地壇・天丘はあるのでしょうか。同じように近畿天皇家の宮や、近畿王朝の都でも地壇・天丘はあるのでしょうか。

 とりあえず質問されると想定できる12問。じっくり資料を見てお答えください。
 この12問ぐらいはセミナーの参加者なら当然質問してくると思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

これから12個の想定質問について,
当日バタバタせずに答えられるようまとめていきますね。
できたものからアップしていきます。

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