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2019年8月25日 (日)

『二十歳の原点』(コミック版)

高野悦子原作,作画・岡田鯛,双葉社,

1000円+税のコミックを入手した。

原作は大学時代か教員になりたての頃読んだことがあり,

「コミック版が出たのかあ」と懐かしく本屋で手に取った。

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本の帯より・・・

「200万人に読み継がれてきたベストセラー

「今のままじゃダメ」だと感じている全ての人に」

「学園紛争がピークを迎えた1969年、立命館大学に在学中の高野悦子が残した

魂を揺さぶるメッセージ」

「2018年、二十歳を迎えた大学生・杉田莉奈は喫茶店で『二十歳の原点』という本と出会う。

その本を読んでいると、彼女は突然意識を失った。目が覚めた時、彼女は学園紛争真っ只中の

1969年1月、京都・立命館大学近くで高野悦子と出会う……。」

そして,莉奈は彼女との交流を通して成長し、

本来の希望であった教師を志すため,教育学部に入り直すのだった。

高野さんの頃盛んだった学園紛争は,私が大学に入った時にはほとんど火は消えていて,

ロックアウトも1年生前期の試験の時のみだった。(郵送で問題が届き,答案を返送した)

二十歳の頃に私も教員に進路変更(学部は変わらないが,教職課程を取ることにして,中学社会の教師になった)

あれから40年の歳月が流れ,あの頃二十歳だった私も退職し,還暦+1年となった。

高野悦子が生きていたら,きっと聞かれるだろうな。

「肥さんは今,何と闘っているのですか?」と。

 

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コメント

肥沼さんへ

>高野さんの頃盛んだった学園紛争は,私が大学に入った時にはほとんど火は消えていて,ロックアウトも1年生前期の試験の時のみだった。(郵送で問題が届き,答案を返送した)二十歳の頃に私も教員に進路変更(学部は変わらないが,教職課程を取ることにして,中学社会の教師になった)

 肥沼さんは20歳のときに(1978年かな?)重大な進路変更をしたのですね。塾で教えて教えることの楽しさを知ってからかな?
 僕も22歳のころ、大きな進路変更をした。1972年だ。大学を卒業する一年前。
 1969年4月。私は大学に入った。だから高野悦子とは同時代で、同じ空気を吸っていた。私自身はそのときは政治にはあまり関心がなく、歴史の研究者(それも東西交渉史の)になろうと思って大学を選んだ。その際に研究者で飯が食えなかったときの対策として、教師になるという方法があるからと、最初から教職課程を選んであった。大学四年間で大学の現状に嫌悪感を抱かなかったら、そのまま研究者の道を歩んだかもね?
 学生や院生を小僧か手代のように扱き使う教授。色の褪せたノートを元に100年変わらない講義を行う教授。ほとんど勉強しないで遊び暮らす学生。社会の現実に異議を唱えて運動に走る学生が、話してみると何も学んでいない現状。ゼミもなく、いつもいつも数十人から100人規模の講義を行って平気な大学。
 でも学生運動家が信奉する大家の著作を直接読み(人の解説ではなく、日本語訳だが原典を読む)、不断の民主主義的改革の連続が社会を変えると大家は説いていると理解して、変えられるところから変えることを決意。まずはゼミ設置運動だと、学生大会の代議員に立候補して当選。でも左右の党派対立に明け暮れる学生大会では発言もままならず。じゃあ自主ゼミだと、仲間と教育研究会を立ち上げて、歴史教科書の検討を一年やる。卒業前には卒論その後と題して、卒論を補足する論考を作ってみんなで研究会。進路は研究者ではなく教育者へと決定。
 一年の浪人時代を経て中学教師になってからは、学校の主人公は生徒だとして、生徒中心の学校を作るために戦った。
 大学時代もその後もいろんなことと戦ってきたが、高野さんのように絶望することはなかったな。
 革命ではなく、不断の民主主義的改革の連続が社会を変えるとマルクスが言っていると理解したことが、絶望に陥ることなく導いてくれたのかもしれない。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  大学時代もその後もいろんなことと戦ってきたが、高野さんのように絶望することはなかったな。
 革命ではなく、不断の民主主義的改革の連続が社会を変えるとマルクスが言っていると理解したことが、絶望に陥ることなく導いてくれたのかもしれない。

私たちの10年前は,川瀬さんや高野さんたちの時代だったのですね。
10年ひと昔と言いますが,本当に変わってしまったわけだ。
今の私を作っているのは,家庭教育の影響もあるとおもいますが,
社会的環境の影響も少なくないと思いました。
マルクスが「革命ではなく,不断の民主主義的改革の連続が社会を変える」
と言っていると川瀬さんが理解したのは,どういうあたりのことなのでしょう。

肥沼さんへ

 大学一年のとき、自治会活動家との議論の中でマルクスを読んでみたいと思った。
 普通は最初に『共産党宣言』を読むから、資本主義から社会主義への社会の変革は、暴力革命によって労働者権力ができることによって移行するとマルクスは考えたと理解する。
 だが僕は歴史の学生。この本が、1848年の2・3月においてヨーロッパ社会主義革命を予言した本で、この予言は全く外れて、ヨーロッパ規模で民主主義革命がおこり、資本主義が急速に発展したことくらいは知っていた。だから「外れた予言なんか読んでも仕方がない」と考え、マルクスが同時代を分析したフランス三部作を最初に読んだ。そしてこの中でマルクスは、1870年のパリコミューンに対して暴力革命に訴えたことは間違いだが、蜂起してしまった以上は世界の労働者はこれを助けなくてはいけないと主張していることにびっくりした。僕もマルクスが暴力革命による社会主義への移行を主張していることぐらいは知っていたからだ。
 1847年と1870年のこの主張の違い。
 何があったのかなと調べてみると、この過程で彼が取り組んだのが『資本論』の執筆。つまりは商品経済の歴史から始まってその発展と資本主義社会が成立し世界を覆っていった過程の経済学的考察。
 なるほど資本主義→社会主義への移行は暴力革命だとした予言が外れて資本主義の今まで以上の発展出くわした。そこでマルクスは資本主義そのものがなんであるのかを自分が知らないことに気が付き、その歴史の研究にまい進したというわけだ。
 そこで『資本論』の序論にあたる『経済学批判』から入って、そのまま『資本論』全三巻を読破した。
 経済学の本であると同時に、商品経済の発生・発展の中で資本主義社会が成り立ち発展してきた歴史の本でもあるので、とても面白く読めた。と同時にびっくりしたのが、3巻の中でマルクスが今後の資本主義を予言したところがあるのだが、それが現代そのものであったことだ。やがて労働者の生活も向上して労働者も株式を買って企業の株主になる。また大企業の経営は資本家が行うのではなく経営のプロである経営者が行うようになり、経営者には小資本家や農民や労働者出身の者がなり、資本家はますます企業経営から離れて単なる投資家・株主になっていく。そして力を得た労働組合がやがて企業の経営自体に介入していく。そうやって資本が社会全体に公開されて企業はますます社会化していく。
 マルクスが描いた資本主義の未来がまさに現在であることに気が付き、彼の歴史分析の確かさを確信した。
 その後マルクス主義を信奉する党派の一人になっていろいろ議論する中で、マルクスが描く未来社会が気になり、読んでみたのが『ゴータ綱領批判』。
 1875年のゴータ大会でドイツの二つの労働者党が合体してドイツ社会主義労働者党ができたのだが、マルクスはその綱領草案を厳しく批判し、大会前に草案批判の手紙を書いて指導者に渡した。この本はその手紙集。だがこの綱領草案批判は秘匿され、人々の目に触れたのは1891年になってから。
 ここにマルクスはドイツの労働者党が目指すべきこととその戦術を詳しく述べているのだが、ここには暴力革命はまったくなく、行うべきことは資本主義社会の中に社会主義的な労働者生産共同体を多数形成して労働者と地域住民の結合体によって地域に必要なものを作る企業体を作って、これが社会全体を覆えるように、ドイツの労働者党は議会活動によって、法律を整備したりして、労働者生産共同体が社会の中で重要な地位を得て広がっていけるように支援すべきだと述べていた。
 マルクスが志向する未来社会・社会主義社会とは、人々が生きるために手を差し伸べあう共同社会であり、その生産場面の核が労働者生産共同体だったのだ。
 当時労働者党の右派は、議会で多数を握って政治の力で様々な社会改革を行うことを目指しており、左派は暴力革命を志向していた。当時の労働者党の指導者は、この根本的に異なる二つの立場の橋渡しをして一つの党につくり、妥協的な政治路線を模索していた。マルクスはこの二つの立場そのものが間違いであることを批判して、この手紙を書いたのだ。
 だが解説によると、このマルクスが批判したゴータ綱領自体が、発展したドイツ社会民主党によってその廃棄が党大会で審議され、社会民主党の路線はますます議会改良主義への移行する危険を目にしたエンゲルスがこのマルクスの手紙を1891年にドイツ社会民主党機関紙に掲載させて議論を復活させようとした。これが秘匿された手紙が公開された経緯なのだが、私自身が勉強したところでは、その後もこのマルクスの批判は左右両派から無視され続けたということで、現代においてマルクス主義と呼ばれるものは、この綱領批判でマルクスが述べている不断の社会の民主主義的改革という政治路線を無視して、暴力革命一辺倒に走っているものであることを、この綱領批判を読むことで確信。
 さらにマルクスが『資本論』の序論である『経済学批判』の序言(1859年)において、「一つの社会体制は其の体制の生命力が尽き果ててその体制では人類に進歩をもたらすことがなくなり、かつその社会体制の中に次の新しい社会体制の萌芽が生まれて、その萌芽が古い社会体制に取って代われるほどに成長することなくしては、歴史から退場することはない」という意味のことを、すでに説いていることに気が付きました。
 マルクスの未来社会論とそれへの移行論は、この『経済学批判・序言』と『ゴータ綱領批判』を見ないとわからないということです。マルクスは『共産党宣言』を否定したということなのです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  何があったのかなと調べてみると、この過程で彼が取り組んだのが『資本論』の執筆。つまりは商品経済の歴史から始まってその発展と資本主義社会が成立し世界を覆っていった過程の経済学的考察。
 なるほど資本主義→社会主義への移行は暴力革命だとした予言が外れて資本主義の今まで以上の発展出くわした。そこでマルクスは資本主義そのものがなんであるのかを自分が知らないことに気が付き、その歴史の研究にまい進したというわけだ。

〉  マルクスが描いた資本主義の未来がまさに現在であることに気が付き、彼の歴史分析の確かさを確信した。

〉  マルクスが志向する未来社会・社会主義社会とは、人々が生きるために手を差し伸べあう共同社会であり、その生産場面の核が労働者生産共同体だったのだ。

〉 私自身が勉強したところでは、その後もこのマルクスの批判は左右両派から無視され続けたということで、現代においてマルクス主義と呼ばれるものは、この綱領批判でマルクスが述べている不断の社会の民主主義的改革という政治路線を無視して、暴力革命一辺倒に走っているものであることを、この綱領批判を読むことで確信。

〉  マルクスの未来社会論とそれへの移行論は、この『経済学批判・序言』と『ゴータ綱領批判』を見ないとわからないということです。マルクスは『共産党宣言』を否定したということなのです。

学びながら行動し,社会の変化も感じ取りながら,また学んでいく。
そして,ついには最初にはイメージし得なかったことも考えられるようになる。
なんだかマルクスについて興味が湧いてきました。
長文のコメントありがとうございました。

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