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2019年8月31日 (土)

肥さんの多元的「国分寺」研究~「方位の考古学」の蔵書

2016年1月に多元的「国分寺」研究を始めてから,3年半が経った

これまで読んだ本,参考にした本などを書いておこうと思う。

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(1)『国府』(教育社)木下良著

(2)『新修 国分寺の研究』(吉川弘文館)(7巻)角田文衛編

(3)『国分寺の創建』(2巻)(吉川弘文館)須田勉・佐藤信編

(4)『飛鳥時代寺院址の研究』(3巻)(第一書房)石田茂作著

(5)『鎮護国家の大伽藍・武蔵国分寺』(新泉社)福田信夫著

(6)『見学ガイド 武蔵国分寺のはなし』国分寺市教育委員会

(7)『よみがえる古代武蔵国府』府中市郷土の森博物館ブックレット

(8)『国分寺の誕生』(吉川弘文館)須田勉著

(9)『古代武蔵の国府・府中を掘る』(学生社)国分寺市・府中市の教育委員会

(10)『国分寺瓦の研究』(名古屋大学出版会)梶原義実著

(11)『古代東国仏教の中心寺院・下野薬師寺』(新泉社)須田勉著

(12)『国分寺を歩く』(イカロス出版)かみゆ歴史編集部編

(13)『中国古代都城の設計と思想・円丘祭祀の歴史的展開』(勉誠出版)佐川英治著

(14)『古代武蔵国府の成立と展開』(同成社)江口桂著

(15)『古代官衙』(ニューサイエンス社)江口桂著

(16)『古瓦の考古学』(ニューサイエンス社)有吉重蔵著

(17)『南相馬に躍動する古代の郡役所・泉官衙遺跡』(新泉社)藤木海著

(18)『遠の朝廷・大宰府』(新泉社)杉原敏之著

(19)『古代国家形成の舞台・飛鳥宮』(新泉社)鶴見泰寿著

(20)『東アジアに開かれた古代王宮・難波宮』(新泉社)積山洋著

(21)『藤原仲麻呂がつくった壮麗な国庁・近江国府』(新泉社)平井美典著

(22)『斉明天皇の石湯行宮か・久米官衙遺跡群』(新泉社)橋本雄一著

(23)『古墳時代の地域社会復元・三ツ寺Ⅰ遺跡』(新泉社)若狭徹著

(24)『律令体制を支えた地方官衙・弥勒寺遺跡群』(新泉社)田中弘志著

(25)『律令国家の対蝦夷政策・相馬の製鉄遺跡群』(新泉社)飯村均著

(26)『長舎と官衙の建物配置』(2巻)奈良文化財研究所編

(27)『官衙・集落と鉄』奈良文化財研究所編

(28)『建築から見た日本古代史』(ちくま新書)武澤秀一著

(29)『続日本紀』(講談社学術文庫)

(30)『日本書紀』(講談社学術文庫)

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 たくさんの本のお世話になったものですね。
 この中で私も持っていてお世話になっているのは、
(1)『国府』(教育社)木下良著
(4)『飛鳥時代寺院址の研究』(3巻)(第一書房)石田茂作著
(5)『鎮護国家の大伽藍・武蔵国分寺』(新泉社)福田信夫著
(6)『見学ガイド 武蔵国分寺のはなし』国分寺市教育委員会
(7)『よみがえる古代武蔵国府』府中市郷土の森博物館ブックレット
(13)『中国古代都城の設計と思想・円丘祭祀の歴史的展開』(勉誠出版)佐川英治著
(14)『古代武蔵国府の成立と展開』(同成社)江口桂著
(15)『古代官衙』(ニューサイエンス社)江口桂著
 の8冊だが、1の「国府」と5・6・7、さらに15「古代官衙」は大変にお世話になりました。
 1の「国府」は国府や国分寺研究の歴史をよくまとめてあり、その類型分類もふくめ、研究の参考になる含蓄の多い著作です。
 5・6は武蔵国分寺研究の歴史と現在の研究水準を示す本なので、大いに批判的に参考にさせてもらいました。
 7、さらには14「古代武蔵国府の成立と展開」は武蔵国府研究の歴史と現在の研究水準を示す本なので、大いに批判的に参考にさせてもらいました。
 15「古代官衙」は、古代官衙研究の歴史の現在の水準を示す論考集で、しかも図版が豊富に掲載されているため、官衙というものがどういう構造を持っているのか、その時代変遷も含めて良くわかるので、これも批判的に参考にさせてもらいました。
 13「中国古代都城の設計と思想・円丘祭祀の歴史的展開」は、中国古代都城設計思想の歴史とその変遷の背景を、歴史的事実と考古学遺跡とをつかって明快に解き明かした論考なので、日本の都城研究の今後に大いに役立つものと思います。
 この13の本の精査と、歴史的名著ですが4「飛鳥時代寺院址の研究」の再精査が今度必要だなと思っています。
 あとは29・30の「続日本紀」と「日本書紀」とを、現代語訳ではなく原文の漢文でしっかり読み込むことが古代史研究の必須条件だと思っています。現代語訳そのものが、現代の通説に基づく解釈でしかないことが注意点です。つまり誤った読みをしている可能性が大だ。
 私も29・30は持っていはいるが、漢文で読んでいてどうにも理解しがたい箇所にであったら、参考に読む程度です。
 原文の漢文で読んだからこそ分かることは多いです。
 大下さんとの論争の中で、「隋書」帝紀を原文でずっと読んでみて、隋帝国というのが、普通の理解のような強大な国家ではなく、意外と脆弱な、内部に矛盾を抱えていた国家で、二代の煬帝が国を継いだ時点ですでにその矛盾は吹き荒れており、彼は二代目なのに、「我こそ天命を受けた正当な王である」と何度も宣言しなければいけなかった王であったことは、史料原文を読んでこそわかったことです(古田さんですら原文で読んでいないので隋についての古田さんの認識は常識の範囲だった。だから当初書紀に依拠して「推古朝の対隋独自外交の展開」という正しい理解を導き出したのに、「書紀では推古が遣使した相手は唐とあるのだから、これは書紀編纂時に10年年次を遡らせた例であり、対唐独自外交だ」とあやまった理解に陥った原因が、隋王朝の性格の誤った理解にあったのだ)。
 また私が書紀が、天皇に関わる記述で、主語を明記したときと主語を明記しないときがあることを、天皇に関わる一つの文節の冒頭で主語を省いたときは九州王朝の事績、一つの文節の冒頭で主語を明記したときは近畿天皇家の事績という読み方を見つけたのは、「隋書」と「唐書」の帝紀を同じく原文の漢文で読んでいたとき、二つの王朝の始祖は当初は臣下であって天子ではなかったので、彼らの言動を記すとき、臣下だったときは名前を明示し、天子となってからは名前を省略するという書き表し方をしていることに気が付いたのが背景にあった。

 多くの研究書を読むことも研究には必要条件ですが、史料を原文で理解することは必須条件です。これは考古学が、遺跡遺物に向き合わないと成立しない学問であることと同じ意味です。
 これができないと古代史研究者とはいえない。プロでもアマでも。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  多くの研究書を読むことも研究には必要条件ですが、史料を原文で理解することは必須条件です。これは考古学が、遺跡遺物に向き合わないと成立しない学問であることと同じ意味です。
 これができないと古代史研究者とはいえない。プロでもアマでも。

川瀬さんのお陰で,有効に本にお金を掛けることができたと思っています。
川瀬さんは原文で読むことによって多くを得られているのはよくわかるのですが,
私に最初からそれを要求するのは少々無理があるかと思います。
今後はわかりませんけれど・・・。

肥沼さんへ

>今後はわかりませんけれど・・・。
 ぜひ今後は漢文で日本書紀を読むことに挑戦してみてください。
 考古学はかなり詳しくなってきていると思います。 
 専門家というにはまだまだだが、これだけたくさんの遺跡を見て、さまざまな報告書や論文を読んできたのですし、実際に遺跡にも足を運んでいるのですから。
 これだけたくさんの1000か所を上回る掘立柱遺構を見たひとはなかなか、プロでもいないはずです。
 これに原文での書紀や続日本紀の智識がついたら、鬼に金棒です。
 すぐには無理です。成果を挙げるのは。まず漢文で読む行為に取り組むことです。10年はかかるかな?
 私には、大学で二年間、週に一度90分の時間で、玄奘三蔵の「大唐西域記」第一巻を、日本語訳に頼らず(そもそもそんなものはない)漢和辞典だけを頼りに読み進めた、東洋史演習の講義が、漢文を読む力を付けた背景です。
 この時の講師は、自分でもこの本を読むのは始めてなので、一緒に勉強しようといって、学生と読み進めたのです。学生の方が正しく読み解いた場面がしばしばあって、学習意欲を高めました。
 講師も含めて受講生みんなが漢文で読むのは初めてという題材は、漢文を読む力をつけるには最適だとおもいました。
 しかも頼りになる日本語訳がないのですから。
 日本語訳に一切頼らず「日本書紀」を原文で読み進めている講座ないかな? 「続日本紀」でも良いが。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

「今後はわかりませんけれど・・・」の真意は,「私がやりたいと思う内容が出てくれば・・・」ということです。
私は自分の好奇心が向かないものには動き出せないので,
「10年はかかるかな?」なんて言われたら,それだけでドン引きです。
「こんなに興味深いものがあるよ」と言っていただくのが,一番意欲につながると思います。
例の「主語有無の論証」のように・・・。
私は決して,「原文で読むことに興味がない」という訳ではないのです。

肥沼さんへ

>「こんなに興味深いものがあるよ」と言っていただくのが,一番意欲につながると思います。
例の「主語有無の論証」のように・・・。
私は決して,「原文で読むことに興味がない」という訳ではないのです。

 「主語有無の論証」だけではなく、「磐井の乱」を九州王朝内の王位継承争いと解釈したことや、古田さんが推古紀の対隋外交を「対隋独自外交だ」とした読みこそ正しいことを、「隋書」の解読と書紀の解読で示したことなどなど・・・・・原文で読むと、全く異なる解釈になることをすでにたくさん示しています。それでもご興味がわかない。
 神武紀からじっくり読んでみたらと研究会を提起したが拒否された。

 わたしは肥沼さんは「書紀を原文で読もうとは思っていない」、「自分には無理だと思っている」と解釈しています。
 「興味がないわけではない」というのは、興味がない人の常套句です。「興味はあるのだけど・・・・・やる気が起きないor自分には無理だ・・・・などで一歩踏み出せない」という言い訳。
 踏み出すか踏み出さないかは本人が決めること。
 興味というのは起きるものではなく、自分で起こすものなのです。
 自分が関心を向けるということなのです。

 

>「10年はかかるかな?」なんて言われたら,それだけでドン引きです。
 真に興味があれば、何年かかろうと突っ込んでいくものです。この発言も一歩踏み出さないことの言い訳。踏み出さないのではなく、踏み出せないのです。

 でもそれでは永久に「古代史研究をしています」と胸を張って言えないことを自覚してほしいだけ。
 去年の古代史セミナーで、どなたかが原文で読むことの必要性をおっしゃっていましたよね。

 なのにどなたもなさらない(肥沼さんも含めて)。
 みなさん、単なる古代史ファンだということですよ。古代史研究者とはいえない。プロでもアマでも。

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