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2019年7月31日 (水)

太宰府遺構の精査・分析(川瀬さん)

一時は「青木樹海」に入ってしまったかのように見えた太宰府の精査。

しかし,「まず森を見て,それから木を見て」いけば,素晴らしい精査・分析となった。

川瀬さんのご指導に感謝いたします。今後ともよろしくお願いいたします。

「方位の考古学」も,さらに前進して行けそうです。

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Ⅰ期:6世紀後半から7世紀初頭:初期太宰府。政庁周辺のみ正方位。他は東偏。すべて掘立柱。
Ⅱ期:7世紀初頭から8世紀中頃。
  この前半の7世紀代前半は、政庁と他の官衙も皆正方位に建て替え。政庁と蔵司の巨大建物は礎石・瓦葺建物に建て替え。政庁は朝堂院様式の大極殿を持つもの。これぞ九州王朝の盛期。
  この後半7世紀の後半以後は政庁以外の官衙はどんどん東偏の掘立柱に建て替えられた。正方位の建物を九州王朝が維持できなくなったのか?それとも意図的に東偏に戻したのか?
 この状態で近畿王朝が太宰府を接収。
Ⅲ期:8世紀中ごろから10世紀中頃
 近畿王朝時代に礎石瓦葺の政庁は一度建て替えられている。すでに他の官衙群はみな東偏に戻っている。この太宰府が10世紀中頃の藤原純友の乱で焼失し、太宰府は事実上消滅した。

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