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2019年7月16日 (火)

野瀬塚遺跡の3方位

昨日の遺跡の精査で,私が1方位しか指摘できなかった2つの遺跡に,

川瀬さんがそれぞれ3方位を指摘してくれた。

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(2)野瀬塚(8世紀中葉~9世紀 )
 Ⅲ・Ⅳ期は確かに正方位。たぶんコノ字型の官衙遺構。8世紀末葉~9世紀中葉
 Ⅱ期は東偏だ。8世紀中葉かな?
 Ⅰ期はもしかしたら西偏? 時代はいつだろう?

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道蔵の方はいまだに塗り分けられていないのだが,

野瀬塚の方はなんとか塗り分けられたのでアップしてみる。

人間というのは,「ほとんど同じ場所に,違う方位の建物を作る動物である」という法則性がありそうだ。(笑)

「方位の考古学」としては,遠くに探しに行かなくてもいい,ということになるが・・・。

(そういえば,犬たちが,同じ電柱に対して,なわばりを主張して自分のおしっこを掛けるのに似ている!?)🐶「俺の縄張りだよ!」

このうち「Ⅱ期の東偏」と「Ⅲ・Ⅳ期の正方位」が九州王朝のものということになる。(西偏はそれ以前のⅠ期か,それとも後の時期か?)

Img_3558

(クリックすると拡大します)

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コメント

肥沼さんへ

 色分けするとよくわかりますね。
 Ⅰ期を西偏としましたが、もしかしたら東偏の可能性もあります。でも鴻臚館でもⅠ期の南北どちらかの館が西偏でしたから、九州王朝も中国王朝に倣って東偏にする前は、磁石で測ったので西偏だった可能性もあるので、一応保留です。

 同じ場所でどんどん方位が変わる理由。
1:掘立柱建物は20年程度しか持たないと思うので、頻繁に建て替えがある。
2:ちょうど建て替えの時期に政治的に方位が変われば、建て替え後の建物は前とはことなる方位の建物になる。
 ということだと思います。
 九州王朝はしばしば方位を変えていると思います。新しい方から行くと
3:6世紀末以後:正方位 これは蛮族が中国を統一した隋王朝への対抗精神。
2:6世紀末以前ー6世紀前半?:東偏 これは自王朝の朝鮮半島支配を認めてくれない南朝・宋王朝への対抗心でしょうか。宋以前の魏も後漢も東偏の都だから。
1:6世紀前半以前:西偏 中国に対抗するとの政治意識がまだ生まれていない時代なので、素直に磁石で測って北を決めた。このため必然的に西偏。
 わずか100年の間に二度も方位を変えた可能性があります。
 掘立柱建物の寿命が20年とすると、建て替えが4回行われたはず。その途中で方位が変わるのですから、一つの遺跡で次々と方位が変わることが目撃できるわけです。
 そして九州王朝が衰え滅びて近畿王朝に移行する過程でも方位が変わる。
4:7世紀後半から末:西偏 近畿天皇家は九州王朝に逆らって西偏にしていたから。
5:7世紀末以後(8世紀以後かも):正方位 列島支配権を九州王朝から奪ったことで正統王朝として正方位を採用。
 1から5の段階で約200年。4回も方位が変わったのだろうと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

そうか。掘立柱建物の寿命の問題もありますね。
今は「30年でリフォーム」みたいなものがありますが,
材木は大丈夫なのに鋳造した釘の寿命が30年らしい。

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