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2019年7月21日 (日)

ニッポンをみた!?幕末・明治の街区人

いろいろ検索していたら,上記のサイトに出会えた。

解説も分かりやすいし,絵や写真も楽しい。

【ニッポンをみた!?幕末・明治の外国人】

http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress018/?page_id=292

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教育」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
 
 幕末から明治にかけて多くの外国人が、外交官や商人、そして観光客、さらには日本政府のお雇いとして来日しました。この人たちの客観的な記録は幕末明治を知るに大事な記録。
 
 ここで紹介された一人のイギリス人外交官アーネスト・サトウ。日本語の達人。わずか5年で漢字仮名交じりの文や漢文も自在に操り、日本語で外交交渉も行った。彼が日本語書記官として過ごした明治の13年14年に、外務卿書記官として外交交渉に随行したのが曾祖父齋藤修一郎。そして明治29年に駐日公使として再び来日したサトウの日記には、齋藤と会食した記録もあります。サトウの日本日記は幕末明治を知る一級史料です。
 ここで紹介されたアロー号事件と戦争。この際にイギリス軍の軍艦に中尉として乗艦し、海兵隊陸戦隊を率いて北京を占領したイギリス将官の一人にエドワード・グリーがいます。後年彼は日本駐在となって日本語を学び、かつ陶磁器のコレクターになり、退役後はアメリカに移って日本美術商人兼日本の小説を書きました、1879年に彼と齋藤とは出会って、二人の合作が以前お見せした英文忠臣蔵「ザ・ロイヤル・ローニンズ」です。
 明治の政治史外交史を研究するとたくさんの外国人が出てきます。
 齋藤と関係のあった人を列記すると、彼の先生として、フルベッキとハウスとグリフィスなど。また外交で知り合った人として、前期のサトウや、生物学者のモースがいます。また齋藤の又従弟で私の祖父の兄にあたる松本源太郎が東大で教えを受けた人として、アメリカ人のフェノロサがいます。彼の英語での哲学講義の授業ノート(英文)が残されています。
 このフェノロサや彼の友人のビゲローは日本をつぶさに観察し、彼らの見聞記を聞いた人としては、のちにアメリカ大統領となった、セオドア・ローズベルトがいます。そしてローズベルトが日本を知るために読んだ本の一つが、前記の「ザ・ロイヤル・ローニンズ」です。
 人はいろいろなところでつながっているので面白いです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

本当にたくさんの外国人がつながっていて驚きます。
教科書にはあまり登場することはないのですが,
日本の歴史に少なからず影響を与えた人たち。
一級史料と言われる彼らの著作に,
これから親しんでいきたいものです。

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