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2019年7月16日 (火)

百済大寺の九重塔

百済大寺t(吉備池廃寺)九重塔の話が,

武澤秀一著『建築から見た日本古代史』(ちくま新書)に出ているのだが,

Img_3556

塔基壇が32m四方,高さ2.8mとあり,他の塔との比較が見たかった。

検索したら,見せてくれるものがあった。

Photo_20190716081801

このうち,大安寺へ変化していく様子を,

あるサイトでは矢印で示していた。

やはり,塔の基壇から推測できるのかな?

【百済大寺から大安寺へ】

http://sakuwa.com/yw267.html

前に,このような議論がなかったでしたっけ?

図入りだったら付いていけるかも。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

百済大寺  ⇒ 高市大寺
(舒明)       ↓
         大官大寺  ⇒ 大官大寺  ⇒ 大安寺
         (天武)       (文武)     (元明)
【吉備池】  【高市郡不明】  【飛鳥藤原京】 【平城京】

この変遷はサイトで説明されているようにたしかな根拠はないのです。依拠した資料は「大安寺伽藍縁起」と「扶桑略記」というどちらも後世の資料。そして百済大寺を移したという高市大寺それ自身の遺構がまったく見つかっていないのです。つまり移築したとの伝説です。
 吉備池の大寺の塔基壇が巨大なものであることはわかります。
 しかし藤原京の大官大寺の塔も大きいが、九重の規模ではなく七重の規模でしょう。
 大安寺の塔はさらに規模が小さいです。

 現在は遺構から考えて移築ではなく、寺院の籍を移動したと理解されています。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 この変遷はサイトで説明されているようにたしかな根拠はないのです。依拠した資料は「大安寺伽藍縁起」と「扶桑略記」というどちらも後世の資料。そして百済大寺を移したという高市大寺それ自身の遺構がまったく見つかっていないのです。つまり移築したとの伝説です。

伝説ではしかたないですね。
それにしても,32mと言えば教室4個分。面積にしたら16個分の基壇。
とんでもない規模です。

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