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2019年7月 9日 (火)

母の誕生日

ケア・マネージャーのKさんが,

「そういえば,今日は誕生日ですねえ」という。

私のではなく,母のだ。(昭和9年7月9日)

あまりに近くにいるものだから,私は忘れていた。

孔子も言っている。「親の年齢を覚えていなければならない。

1つは長寿を祝うために。もう1つは健康を気遣うために」と。

母は,本日85歳になりました。

先ほどは昭和で書いたが,西暦なら1934年。

五・一五事件と二・二六事件の間。

日中戦争が3歳。第二次世界大戦が5歳。

太平洋戦争が7歳。終戦・敗戦が11歳の時。

今はニコニコしたお婆さんだが,大変な時代を生きてきた。

父と結婚したのが,24歳の時。長男(肥さん)誕生が,25歳。

次男誕生が,28歳の時。

母は,一度だけ大病をした。40歳の時の乳がんである。

しかし,早期発見で事無きを得た。

高度経済成長の中であまり出世しなかった夫=私の父は,

高齢者事業団ではめきめき頭角を現し,会長にまで上り詰めたのには驚いた。

その後,「石橋を叩いても渡らない」といわれた夫=私の父が

79歳で事故で亡くなったのが母72歳の時。人生何が起こるかわからない。

それから一人暮らしが続くが,昨年から私が同居したのが83歳の時。

そして,本日めでたく85歳を迎えた。

戦争時代がスタートではあったが,祖父は外科医で生活は貧しくはなかったと思う。

むしろ,お嫁に来てからは,節約に努めなければならず,宗教にもいろいろ言われ,

苦労をしたのではないかと思う。

「誕生日だから何か好きな食べ物を買っていいよ」と言ったら,

かんぴょう巻きと枝豆と南高梅おにぎりしか買わないので,

「じやあ,プリンも買おうか」と言ったら,

糖分75パーセントカットのものをカゴに入れた。

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コメント

お母様お元気で何よりです。本日85歳ですか。
 私の母も二日後、11日は誕生日で94歳になります。ほぼ9年の違いなのですね。ただ9年も違うと一時代違った体験をしていると思います。お母様はおそらく、終戦の年に11歳でご住所が所沢ですからほとんど戦争を体験していないのではないでしょうか。
 私の母は終戦の年が20歳。
 終戦を迎え、玉音放送を聞いた場所は、京都府の北、舞鶴軍港の施設でした。
 18歳で高等女学校を出たわけで、その後は家事手伝いをしていたのですが、二人の兄も出征していたので、自分も何かせねばということで、女子挺身隊を志願して、海軍軍港で働くことになったそうな。
 母の家は祖父が京大教授の学者ですから普通よりは裕福ですが、祖父が53歳の末っ子ですから、母が小学校に入学したところで祖父は定年退官。その後は同志社大学で教えていました。このため上の二人の兄の学費がかかることが理由でしょう、母が14歳となった日、「女中さんには辞めてもらうからこれからはあなたが家事をしなさい」と祖母に言われたそうな(もっとも祖母が嫁にきたのも14歳だ)。以来高等女学校に通いながら家事を全てこなしていた。だが高等女学校の学費が払えず、なんども延納をお願いし、最後はすぐ上の兄が祖父が特許権をあげた会社(トウモロコシからブドウ糖を抽出する技術の特許をあげた会社)に交渉して、これまで年に一度支払ってもらっていた特許料を年12回の毎月に改めてもらい、自分は遠い親戚から紀州犬の幼犬をもらってきて育てて売るというアルバイトをしたそうな(これが戦後彼の仕事になり、犬のブリーダー兼訓練師となる)。
 女中のようにして自分を支えてくれた娘までが戦争に行ってしまった祖母は日記に「今日、お新までが戦争に行ってしまった」と記した(この日記は私の手元にあります)。
 舞鶴の暮らしはきつかったが、海軍工廠だから食料は豊富だったそうな。そしてかなり前からこの戦争は負けると軍人さんから聞かされ、終戦も少し前に極秘として知らされたそうな。
 肥沼さんのお母さんもあと5・6年早くに生まれていたら、少なくとも工場に勤労動員されて働き、下手をすれば空襲にあっていた可能性は高いですね。国民学校で軍事訓練ぐらいさせられたでしょうが。
 母の空襲体験は、突然空襲警報がなり、仕事を中断して防空壕に駆け込む前に、敵機グラマンの編隊に襲われ、激しい機銃掃射をされ、隣を走っていた級友が機銃の玉の直撃を受け、体が吹き飛ぶのを目撃したのだそうな。ほんの1m内外の距離の差。母は危うく難を逃れ、防空壕に逃げ延びた。

 いつもなら11日は母の大好物のエビフライなのだが、翌朝が私が大腸内視鏡検査なので、冷凍食品のトマト煮込みハンバーグかなと思っています。近所のケーキ屋で大好きなケーキを買ってきておやつに出すつもりです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

人間は親も選べませんが,時代も選べません。
だから,戦争の時代に生まれた人たちは,困難なことが多かったと思います.。
しかし,とりあえず今は,自由にものを考え,発表することが許される時代です。
「与えられた場所で花を咲かせるしかない」という言い方がありますが,
それは窮屈に使わせることが多く,好きではありません。
言い方を変えれば,「今できる最大の努力をする」というのがいいかも。
古田さん,板倉さんと同じ時代を生きられた幸せをかみしめつつ,
川瀬さんに協力していただきながら,歴史に何らかを残していきたいです。
今後ともよろしくお願いいたします。

〉 母の大好物のエビフライ

すごいですね。ぜひまた今度,作って差し上げて下さい。

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