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2019年7月 3日 (水)

上野国分寺の「新発見・金堂」その後(正方位だったかも!)

平成の元年に出された報告書では,やや西偏と思われた旧金堂(今は講堂)。

その後根石と旧金堂との間に発見された版築が本来の金堂と言うことになったらしい。

ふと思いついて検索したら,第2期の報告書がヒットした。

【史跡上野国分寺跡 第2期発掘調査報告既報】

https://www.pref.gunma.jp/contents/100002141.pdf#search=

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その中に,図6「伽藍中心部全体図」というのがある。

前にやった我々の精査は,旧金堂(今は講堂)によるもので,「やや西偏」というものだった。

第2期で発見された昔の金堂(版築の一部しかないけれど)で精査してみるとどうか。

右上に方位が書いてあるが,私には版築の方位が真北(正方位)に見えるがいかがでしょうか。

そして,これは塔の方位とほぼ同じ(1゜22´W)である。少なくとも,旧金堂より正方位に近い。

武蔵国分寺の金堂(西7度)と塔(正方位)の違いから多元的「国分寺」研究は始まったが,

上野国でも金堂は建て直されたが,塔は残されたのかもしれないと思った。

伽藍配置としては,茨城廃寺と同じ法隆寺式になるのかな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【第6図 伽藍中心部全体図】

Img_3371

【第16図 金堂平面・断面図】

Photo_20190703111401

 

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コメント

肥沼さんへ

 報告書を精査してみると、塔の方位も1度22分西よりも2度西が礎石の位置からも妥当としていますし、金堂基壇の方位も、そして発掘された回廊基壇もわずかに西偏しているように思われます。
 この報告書は上野国分寺の方位を2度西で書かれていますよ。
 まあほぼ正方位と言ってよいと思いますが。

追伸
 伽藍配置は、金堂院の西側に塔。そして金堂院の北側に講堂です。金堂の両側に回廊がありますから。
 金堂の南にピンク色で塗られている箇所が、回廊基壇地業跡です。

 むしろこの寺院は金堂院の中に塔が入っていた大官大寺式の伽藍を、聖武詔によって塔を七重に変えて、金堂の西に軸をそろえて作ったと考える方が合理的です。

もう一つ追伸
>前にやった我々の精査は,旧金堂(今は講堂)によるもので,「やや西偏」というものだった

 この「記憶」自体が間違いですね。
 奈良文化財研究所のデータベースで上野国分寺を見ると、「全体図」というのがありますが、これが今回肥沼さんが見つけたⅡ期発掘調査概報2018年によるものです。
 「やや西偏」という書き方は「ほぼ正方位」と同じで、1・2度程度という意味ですから。

 きっと2019年2月に群馬県の寺院遺跡を精査した際に、肥沼さんはなぜかこの上野国分寺の精査を忘れて、私が追加しました。だからきっと自分では精査していないので、それ以前にやった旧金堂での方位測定の記憶しか残っていなかったのではないでしょうか。

記憶はあやふやなものですね。
 以上の肥沼さんが精査を忘れたというのは、2019年2月の群馬県の寺院遺跡精査の過程を「多元的国分寺研究サークル」のサイトで確認して見つけたことです。
 私の記憶では旧金堂の南に本当の金堂が見つかっていたことはすでに分かっていたし、それで精査したという記憶しかありませんでしたので。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 この「記憶」自体が間違いですね。
 奈良文化財研究所のデータベースで上野国分寺を見ると、「全体図」というのがありますが、これが今回肥沼さんが見つけたⅡ期発掘調査概報2018年によるものです。
 「やや西偏」という書き方は「ほぼ正方位」と同じで、1・2度程度という意味ですから。
 きっと2019年2月に群馬県の寺院遺跡を精査した際に、肥沼さんはなぜかこの上野国分寺の精査を忘れて、私が追加しました。だからきっと自分では精査していないので、それ以前にやった旧金堂での方位測定の記憶しか残っていなかったのではないでしょうか。
記憶はあやふやなものですね。
 以上の肥沼さんが精査を忘れたというのは、2019年2月の群馬県の寺院遺跡精査の過程を「多元的国分寺研究サークル」のサイトで確認して見つけたことです。
 私の記憶では旧金堂の南に本当の金堂が見つかっていたことはすでに分かっていたし、それで精査したという記憶しかありませんでしたので。

あちゃー,そうでしたっけ・・・。
ノーミソは自分の都合が良いように記憶していたということですか。
それにしても,中途半端な数値(西偏1~2度,ほぼ正方位)なので,
なんかもやもやしています。

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