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2019年7月 2日 (火)

〇 長門国分寺は,最初からずっと東偏の寺だった!(正方位だったことは一度もない!!)

先日「長門国分寺に「リベンジ」!」という話を書いたら,

昨日川瀬さんから,以下のようなコメントをいただきました。

 この書き方では間違いです。  つまり「長門国分寺は正方位なのだが、それ以前には東偏であった」と捉えてしまう可能性があります。
 正しくは「長門国分寺を正方位で復元した図には何の根拠もない。実際の発掘データによれば、創建金堂の基壇からは、この寺院が東偏で作られたものであることは明らか」と書かないと。

そこで,題名を上記のように変えてみました。これなら間違いないでしょう。

そもそも,金堂の版築の図面(国分寺地区遺構概略図)は,1982年のもの。

まさしく考古学の成果です。

Photo_20190702045701

一方,誤解のもとの「復元図」(寺域復原図)は,1997年のもので,

考古学的な根拠がまったくないものだったのでした。

そもそも矛盾する両者を同時に載せていることが変だと言えます。

川瀬さん,ご指摘ありがとうございました。

 

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