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2019年7月29日 (月)

秋津町見て歩き(9/21)の「見どころ」

(1) 八雲神社(天王様) 「埼玉県寺社案内」より

北秋津八雲神社は、所沢市北秋津にある神社で、日月神社の飛び地境内社です。

北秋津八雲神社は、天保六年比企郡中沢村の牛頭(ごず)天王を分祀して創建、

明治2年八雲神社に改称したといいます。

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社号・・・八雲神社

祭神・・・大日孁貴尊、月読尊

相殿・・・

境内社・・・御嶽社、愛宕社、稲荷社

祭日・・・7月14日に夏祭り(神輿,火渡り)

住所・・・所沢市北秋津367

備考・・・記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神(あまてらすおおみかみ),大日孁貴(おおひるめのむち),

天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)などともよばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。

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(2) 北秋津城(大堀山館跡)「ぶらり所沢ニュータウン」より

所沢市内の城址としては、滝の城址山口城址根古屋城址などが知られていますが、

北秋津城と呼ばれる城址があったと知って、ちょっと調べてみることに。

「北秋津ものがたり」(北秋津郷土史の会著)という本に大堀山館跡という中世武士の館跡のことが書かれていたのですが、

どうやらこれが北秋津城のことのようです。

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記載内容によれば、館跡の北と西には約60cmから160cmの高さに築かれた土塁や、空掘が残されているとのこと。
もっとも、館の主については確かなことは分からないそうで、鎌倉時代初めに活躍した久米氏とも、室町時代初めにこの辺りを支配していた大石氏ともいわれているのだとか。

気になったので、見に行ってみることにしました。
場所は、日月神社のすぐ近くです。
※大堀山の西端を切り開いて造られた道路。かつては小高くなっていたことが、道路側面の様子からも分かります。

画像
「北秋津ものがたり」にはこんな写真が掲載されているのですが、どこにもそれらしいものは見当たりません。
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これは増田さん(私の幼馴染の家)の敷地内にあるもので,
「団体の方々はご遠慮します」とのこと。昔のよしみで拝見しました。
大きなお屋敷の庭で枝を剪定していたおじいさんに、大堀山館について訊いてみることにしました。
すると、おじいさんのお住まいがある一帯が、なんと大堀山館跡とのこと。

ちょっと敷地内にお邪魔させていただくと、確かに「北秋津ものがたり」に掲載されているものと同じ鳥居が。
ちなみに祀られているのは久米氏でも大石氏でもなく八幡様とのことでした。
※大堀山を南側の麓から見た様子。駐車場を抜けた先の左側奥に八幡様が祀られていました。
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私有地内ということもあり、あまり厚かましい真似もできなかったので、
結局は土塁も空掘も分からず仕舞い。。。
でも、ちょっとだけ歴史ロマンを感じられたような気がします。
(団体の見学はお断りしているようです。土塁見学は急斜面なので,
ケガの心配もあるかもしれません。)
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(3)日月(日月)神社 「埼玉県寺社」
日月神社は、所沢市北秋津にある神社です。
日月神社の創建年代等は不詳ながら、秋津村の鎮守社として創建したとも、
東方の大堀山館の鎮守として創建したともいいます。
秋津村が南北に分村してより北秋津村の鎮守社となっていたといいます。
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社号・・・日月(じつげつ)神社
祭神・・・大日孁貴尊、月読尊
相殿・・・・
境内社・・・ 御嶽社、愛宕社、稲荷社
祭日・・・
住所・・・北秋津367
備考・・・
【蜻蛉の宿り木】

住宅街にあるごく普通の神社であるが、その境内には立ち枯れてしまったケヤキの御神木がある。かつてこのケヤキの木の途中からエノキの木が生えていて、なかなか有名なものであったらしい。そしてこの不思議な様子の木には、ある伝説が残されている。

この秋津村には、無理難題を言って家臣を困らせていた殿様があった。ある時、自分の年齢と同じ数の蜻蛉を捕ってくるよう家臣に命じた。ところが集められた蜻蛉の数が1つ足りない。怒った殿様は日月神社に行って、「もし本当に神の力があるのなら、このひとかたまりの蜻蛉を、御神木の木の股から別の種類の木にして生やしてみせろ。出来なかったら祠を取りつぶす。出来たならもう無理難題は言わない」と言い放って、御神木に蜻蛉を投げつけた。

すると途端に、ケヤキの御神木からエノキが生えてきた。蜻蛉がエノキの寄生木に変わったのである。それと同時に、殿様は無理難題どころか声を発することが出来なくなってしまったという。「日本伝承大鑑」より

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(4)草野心平の「光あまねし」の碑 

詩人の草野心平氏は1963年(昭和38)から秋津町に住み、自宅周辺を自然のままという意味の「五光」と命名した。その後、秋津橋のたもとに氏の筆により「光あまねし」の木柱が建てられたがその墨痕も薄くなったため、1981年(昭和56)11月に地域の人々により、石の記念碑が建てられた。 (秋津橋は,昔「一本橋」と呼ばれていたそうです)

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(5)氷川神社(東村山市)

秋津氷川神社は、東村山市秋津町にある神社です。秋津氷川神社は、秋津村真言宗竜泉寺の境内社として弘仁九年(818)頃に村の鎮守として祀られていたといいます。江戸期には南秋津村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格したといいます。

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社号・・・氷川(ひかわ)神社

祭神・・・須佐之男命

相殿・・・

境内社・・・愛宕神社、八雲神社、三峰神社

住所・・・東村山市秋津町4-13-1

祭日・・・例祭日10月1日

備考・・・

由緒・・・

(ア)(南秋津村)氷川社
除地、九段六畝十二歩、小名新田の内にあり、村の鎮守なり、社は五尺四方、上屋二間に三間南向、拝殿三間に二間、神體白幣、社前に鳥居をたつ、古木數株ありて村内龍泉寺持、豊隙の時をうかがひ聊神事をいとなむ、定れる月日なし、社に向て右の方に古碑一基あり、徳治三年六月十二日とあり、又村民利右衛門が構の内にも古碑三基あり、一は貞和三年四月二日、一は応仁元年十月二十三日、一は文明元年三月とえりてあり。(新編武蔵風土記稿より)

(イ)この神社は、氷川神社(ひかわじんじゃ)といい、弘仁九年頃秋津村真言宗竜泉寺に氷川社があり、村の鎮守として崇敬された。
明治六年十二月村社ニ列セラル。
現在の社殿は昭和五十九年九月再建されたもので、坪数二十一坪余、鉄筋コンクリート造銅板葺本殿流れ造、幣殿やね銅板葺、拝殿入母屋造り、屋根銅板葺であります。
例祭日十月一日
境内には末社愛宕神社、八雲神社、三峰神社が祀ってあります。(参考資料 北多摩神社誌)(北多摩神社青年会掲示より)

(ウ)弘仁九年頃秋津村竜泉寺に氷川社があり、村の鎮守として崇敬された。(「北多摩神社誌」より)

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(6)蛇行する柳瀬川と淵の森緑地

柳瀬川は蛇行しながら,所沢~秋津~清瀬と流れていきます。私たちは柳瀬川を通して一つながりの地域なのです。

一つながりが「人つながり」になるように,これからも郷土研究会同士が連携していきましょう。

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  • 東村山市と埼玉県所沢市にまたがって、市街地に残る約4600平方メートルの緑地。
    • アニメ映画の宮崎駿(はやお)監督が散策に訪れ、「となりのトトロ」のアイデアを考えたとされる。
    • 宮崎監督が「淵の森保全連絡協議会」の会長となる。
    • 開発計画から守ろうと1996年(平成8)に会長たちの寄付によって公有地になった。
  • 淵の森対岸の緑地の宅地化騒動
    • 2007年(平成19)、淵の森の柳瀬川(やなせがわ)をはさんだ対岸に残された緑地に宅地計画が持ち上がったため、公有地化の運動が起こる。
      • 宅地化の話が持ち上がったのは、地権者に「木が邪魔」という住民からの苦情が持ち込まれたことが発端だという。
      • 運動により、東村山市により公有地化されることが決定され、対岸の緑地に「八郎山」の名が付けられた。
        • 地元でこのあたりが「八郎」と呼ばれていたことから。
      • 2008年3月、新地権者である不動産業者との間で、価格面で折り合いがついていないことが表面化した。
      • 同月末、土地の所有権が地権者から不動産業者に移り、東村山市との取得契約が締結された。
      • ※ 宮崎駿さんのお家も近くにあり,よく散歩されていますので,会えたらラッキーですね。

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(7)秋津神社

創建年代については不詳であるが、江戸時代前期に作られた不動明王像を安置し、「秋津の不動」と称された。現在の本殿は、幕末の1822年(安政5年)に改築されたもの。明治維新の神仏分離に伴い、祭神が日本武尊に改められ、現社名に改称された。

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社号・・・秋津神社

祭神・・・日本武尊、伊邪那岐命、伊邪那美命(昔は牛頭天王だったかも!?)

相殿・・・

境内社・・・いくつかあります。

祭日・・・7月27日,28日

住所・・・東京都東村山市秋津町5-27-1

備考・・・

由緒・・・

(ア)秋津神社の創建年代は不詳ですが、旧別当寺であった正福寺の創建とほぼ同時期に創建したものと考えられ、弘安元年(1278)前後から応永14年(1407)前後に創建したと言われます。江戸時代までは牛頭天王社と呼称し、野口の天王さまと称されて大いに賑わいます。明治2年に秋津神社と改称、村社に列格しました。当社の前を通る鎌倉街道(府中街道)の拡幅工事に伴い、平成元年建造物を一新しました。

(イ) (南秋津村)不動堂
無年貢地、二段七畝、是も新田にあり、三間四方の堂にて南に向ふ、本尊は霊像なりとて見ることをゆるさず、前に鳥居をたつ、村民四郎左衛門が持なり(新編武蔵風土記稿より)

(ウ)創建は伝えによると天授年間である。寛永年間聖護院宮が参拝され提灯二張を献め、社名を当村開村の祖神であることから村名をとり、秋津神社とするよう御伝詞を賜り現社名が起きた。(北多摩神社誌より)

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今回歩くこの範囲の中でも,興味深いものが沢山あった。

秋津神社が昔は「野口の不動さま」と呼ばれ,牛頭天王を祭っていたとは,調べてみないとわからないものだ。

(現在は,日本武尊が中心)

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