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2019年7月29日 (月)

天壇・地壇を利用したのは桓武天皇でした

天壇・地壇を利用した都づくりを天皇を

「750年あたり」という年代をヒントに探してみた。

とりあえず「平安京 天壇 地壇」で検索してみたら,

あるサイトに出会えた。

そこにこんな記述があった。

「桓武天皇は百済王家に連なる和氏出身の高野新笠を母に持ちます。

天皇は長岡京、平安京への遷都、続日本紀の編纂を通じて天皇を中華皇帝のように

蝦夷世界や渤海に及ぶ九域を支配する極東アジアの皇帝として天壇、地壇による祭(郊祀)を執り行ない、

河内の渡来氏族出身の津連真道や坂上田村麻呂等を重用してこれらの課題に対処し、千年の都を築上げました。」

【市政70周年記念まちづくり拠点事業「歴史講演会」を開催しました。】

https://blogs.yahoo.co.jp/fureai_0380/15841418.html?__ysp=5bmz5a6J6YG36YO9IOWkqeWjhyDlnLDlo4c%3D


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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 情報をありがとう。
 ということは、長岡京と平安京には、北に地壇・南に天丘があった可能性がありますね。そして桓武が極東アジアの皇帝との意識でこの祭祀をしたのなら、当然太宰府を作った九州王朝天子もやったでしょうね。
 太宰府遺跡周辺を精査してみましょう。政庁正殿(「大極殿」)の真北に地壇お置くことのできる平坦な高所があるかどうか。そして正殿の真南に天丘を置くことのできる高所があるかどうか。
 良い視点をもらいました。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

お役に立ててうれしいです。
横浜読書会では,「太宰府には,天壇や地壇が出土しているのですか?」という質問をされ,
「確か750年だったかに,近畿でそういう都の作られ方をしちた例がある」ということでした。
南北の延長で探せば,候補地は出てくるような気がします。

肥沼さんへ

 さっそく地図で見てみました。
 太宰府政庁のすぐ北側の地域は、グーグルマップで見ると「旧小字標識」があって「内裏」とあります。「おおうら」と呼んでいますがこれはこじつけ。まさにここに九州王朝太宰府の内裏があった違いありません。
 このすぐ北側に「日管寺」という明治時代にできた日蓮宗の寺があります。
 この日蓮宗の寺が立っている場所は、まさに正方形の檀の形をしています。場所はまさしく正殿の真北。
 ここが「地壇」の第一候補。ここからさらに北に行けば太宰府を守る寺である「四王寺」が山の上にあります。
 ネットで日管寺とひくと、四王寺で数多く戦われた合戦の戦死者の霊を慰めるためと、眼下にある太宰府・都府楼の保存を願って都府楼の地に建てられたとあります。

 さらに天丘(檀)の候補地。
 ずっと都府楼から南に下って朱雀大路跡を辿っていくと、その南の少し西に外れたところに「天拝山」という山があって歴史公園になっています。
 この気になる名前は、菅原道真が無実を晴れることを天に願った場所と言い伝えられてできた名だそうな。この200m少しの山の東側には、いくつかこんもりした森状の場所がありますから、本来はこの山の東側の森のどれかに天壇・もしくは天丘があったのではないか。
 その名残が西側の山の名に残ったのかもね。

肥沼さんへ

 桓武天皇と天壇地壇の祭祀の問題は、次のサイトの講演の方が詳しいですね。祭祀を行ったのは長岡京の南にあたる河内の交野。桓武と文徳による郊祀(都の郊外で天の神を祀る)の跡も残されているようです。
 http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/1404/sokai.html
 演題は「桓武天皇・長岡京遷都と交野が原」。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 祭祀を行ったのは長岡京の南にあたる河内の交野。桓武と文徳による郊祀(都の郊外で天の神を祀る)の跡も残されているようです。

調べれば,事実がわかるものですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 祭祀を行ったのは長岡京の南にあたる河内の交野。桓武と文徳による郊祀(都の郊外で天の神を祀る)の跡も残されているようです。

調べれば,事実がわかるものですね。

肥沼さんへ
>調べれば,事実がわかるものですね。
 肥沼さんは調べるのですが、今回の場合は郊祀を行ったのが桓武天皇だという事実を見つけただけで終わってしまっているのです。
 一つ見つけると大喜びして終わる。これが肥沼さんのパターン。
 私なら、あの記事では、どこで郊祀を行ったかわからないし。郊祀を行って作った都が、長岡京七日平安京なのか、それとも両方なのかが不明ですから、さらに検索結果を精査しますね。いつも100以上のサイトを見ていきます。
 そうするとこうやってさらに詳しいものにぶつかる。
 長岡京ー石清水八幡宮ー交野山 が一直線に南北に並ぶことがわかった。

 前からなぜ皇室は石清水八幡宮を尊崇するか疑問だった。これは宇佐八幡宮を勧進したものだとわかった。称徳女帝が僧道鏡に帝位を譲ろうとしたときに、それで良いかどうか朝廷が託宣を求めたのが宇佐八幡だ。
 それだけ天武朝においては宇佐八幡が重視されていた。
 ここに天武朝は九州王朝系だとの説の根拠がある。
 私は、天武朝が宇佐八幡を尊崇したのは、九州王朝から権力を奪い取った彼らにとっては、九州王朝の第一の社は尊崇せざるを得なかったということ。自らの王朝が其の社の神の子孫で守られているという体裁をとらないと、天子足りえないからと解釈している。
 問題は宇佐八幡を石清水に勧進したのは誰かということ。
 神社のサイトには次のように書かれている。
平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。

天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、 天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。

明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。

 何と平安時代になって清和天皇の時代だと。
 ほんとかなと思います。
 むしろこの男山の真南にある交野山で(もしくはこの山をご神体として山麓で)天神を祀る祭祀を桓武が行い、その真北に長岡京を築いたのであるならば、本来は長岡京と一体のものとして考えられたのではないか。それが都が平安京に移ってしまったので、平安京の南の鬼門を守る社と読み替えられた可能性がありますね。

 ところで平安京の大極殿の真南には、天壇(丘)は無いのでしょうか。
 ここは引き続き探索してみたいと思います。

 ちなみに桓武天皇が天神を祀る祭祀を初めておこなったのは、彼は本来天皇になるはずのなかった人なのに、有力候補を皆殺しにして天皇になったからです。権威の裏付けが欲しかったのでしょう。
 そして彼のひ孫の文徳がまた天神を祀る祭祀をした。これはなぜか。
 ここにも王位継承の争いが背景にあると思う。
 桓武の自身が指名した後継者は、皇女の母を持つ第四皇子だった。だが幼少だったので、中継ぎで長男の平城を建てたが彼が中継ぎに満足しなかったので武力で廃位に追い込み、以後は次男三男が中継ぎをしろと遺言した。それが嵯峨天皇・淳和天皇だ。この二人が桓武の遺言を無視して、以後は二人の男子が交互に天皇となることにして四宮を無視。しかし嵯峨・淳和も不和になり、約束では嵯峨の息子の仁明のあとは淳和皇子が継ぐはずを、これを無視して仁明の息子文徳を立てた。このとき淳和の息子は排除された。謀反の罪を着せられて。
 文徳も正統な天皇とは見なされない。だから後ろ盾の権威を求めたんだね。

 この後の清和にも継承上の問題があった。
 もっとも有力な皇子。これを藤原氏が排除して、自らの娘の生んだ清和を擁立した。だから排除された皇子を支持した伴義男らが謀反の罪を着せられて排除された。
 ある意味清和も正当な王者ではなかった。
 清和の時代に宇佐八幡宮が男山に勧進されたのが事実なら、彼もまた王位の正当性を、そして排除されたものの怨念から自らを守るために宇佐八幡の権威が必要だったのかもしれないね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 さっそく地図で見てみました。

図にして,アップしてみますね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 彼もまた王位の正当性を、そして排除されたものの怨念から自らを守るために宇佐八幡の権威が必要だったのかもしれないね。

今も昔も自分に自信のないない人は,何か別のことで箔をつけたり,格好を取り繕うものなのですね。

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