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2019年8月 1日 (木)

『遠の朝廷 大宰府』

杉原敏之著,新泉社刊,1500円+税の

上記の本を買ってきた。

川瀬さんとの「方位の考古学」で精査した後読むので,

批判的に読むことが出来るようだ。

(根が素直なので,著者の主張を正しいと思ってしまうから)

大宰府政庁はもちろん,各地区のたくさんの遺構を発掘しているのだが,

まず九州王朝の中心地(中国南朝の子分=都督の本拠地)ということと,

方位に目を付けていないことで,「発掘のための発掘」となってしまっていると思う。

(それが藤原純友の乱後にⅢ期政庁が再建されたり,政庁以外の地区の方位の変化が見えていない等)

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       『遠の朝廷 大宰府』        「方位の考古学」     

第Ⅰ期古期  7世紀後半            6世紀後半~7世紀初頭     ※掘立柱建物

   新期  7世紀終わり~8世紀初め    

第Ⅱ期    8世紀前半~10世紀中頃   7世紀前半~10世紀中頃     ※礎石建物(九州王朝→近畿王朝)

       (藤原純友の乱で焼失)     (藤原純友の乱で焼失)

第Ⅲ期    10世紀中頃~(再建?)    10世紀中頃再建~12世紀   ※礎石建物(配置変更して再建)

 

※ 土器や瓦編年で100年年代がずらされているのは、飛鳥奈良時代が主で、

平安時代初期9世紀ぐらいまでと判断できますね。平安時代中ごろ以後は、実年代にほぼ等しい。

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Img_3806

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 このように二つの年代観を並べてみると、先日書いた方位の考古学からみた太宰府の歴史に少し誤りがあると思いますので、訂正しておいてください。
 正しくは
 Ⅱ期:7世紀初頭~8世紀中頃 ⇒7世紀前半~9世紀中頃
 Ⅲ期:8世紀中頃~10世紀中頃⇒9世紀中頃~

 もしかしたら太宰府政庁遺跡からは焼失した痕跡が出ていないのかな?
 焦土や焼けた材木や焼けた瓦が見つかれば、その層位から編年が100年ずれていることがわかると思う。これに気が付かずに純友の乱で焼けたのがⅡ期政庁だから、Ⅲ期政庁はその後の再建とされているということは、政庁遺構に焼け跡がないということかな?
 ご紹介のこの本に、このことが記述されていないか。気を付けて読んでください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

ご指摘の部分を訂正しておきます。

焼土層の話は,17ページに出てくるのでアップしますね。

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