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2019年6月14日 (金)

ここなら古代でも水田が可能ですね

川瀬さんのおっしゃっていることを頭に入れて,

白い地図に色を付けてみました。

これでよろしいですかね。

Img_3100

(写真をクリックすると拡大します)

「池の下」を「池から流れ出る山王川の両側」と考えればいいのでした。

地図に青色で池と川を塗ってみると,一目瞭然。

(水田の地図記号の有無でもわかりますが)

河岸段丘の件もその段階でわかっていたでしょうね。

(私の地区は柳瀬川の流域なので・・・)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 豊崎さんが指摘した柏原条理は、図で示された山王川の両側で良いと思います。
 ただ気になるのが関口さんの指摘。
 「鹿の子条理」に近接した「鹿の子A」遺跡の集落の軸が30度Wで、この「鹿の子条理」の主軸が36度Wだからとても似ているので、「鹿の子条理」が古代に遡るという論理。
 「鹿の子A」遺跡を奈文研のデータベースで見ると、工房もそしてその北側の集落も正方位で作られています。36度も西に傾いているわけではない。
 よくよくデータを見ると、図5範囲確認調査区というず。
 http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m100927-3019/up1.jpg
 これでは工房も集落も30度ほど傾いているのですが、WではなくてEなのです。そしてこの図は「鹿の子A」遺跡のそれではなく「鹿の子」遺跡の物。奈文研も「鹿の子A」遺跡の報告書に「鹿の子」遺跡の図が掲載されているので勘違いした模様です。
 なお建物データの冒頭にあるSB01が「鹿の子」遺跡の工房です。
 同じように地図で「鹿の子条理」を確認すると、これも軸はWではなくEです。およそ36度東偏。

 「鹿の子」遺跡は鹿の子地区の条理状地形の南西に接しています。
 したがって「鹿の子」地区の条理状地形が古代にさかのぼる可能性はありますが、条理遺構というよりは、前のコメントにも書いたように、古代官衙遺構の可能性があると思いますね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

鹿の子遺跡が,条里遺跡なのか官衙遺跡なのか,
もう少し宿題にしておきましょう。
何しろ,石岡市が重要な都市に違いないのは,
もう確実だと思いますので…。

鹿の子遺跡ではなく、鹿の子条理状地形です。
 鹿の子遺跡は東偏時代の国府曹司・製鉄遺構。鹿の子A遺跡は正方位時代の国府曹司・製鉄遺構。これ以外にも鹿の子遺跡群はあり、どうやら奈良平安時代の土器などは出るようです。
 この条理状地形が古代に由来するのかどうか。
 確かめる方法は、石岡市が発行した文書の中の地名に関するもので確かめること。「鹿の子」という地名がいつからあるか。江戸時代の地誌などがありますから、そうしたものから鹿の子地区の歴史が分ると思います。
 そしてもう一つは古地図。明治時代の参謀本部が作った地図があるはず。
 これと照らし合わせて、すでに明治の20年代までにこの条理状地形があれば、古代に遡る可能性がでてきますね。
 時間があれば、石岡市立図書館などで資料を探してみてください。
 宿題ですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  時間があれば、石岡市立図書館などで資料を探してみてください。
 宿題ですね。

先日の常陸の旅では時間が許しませんでしたが,
幸い石岡市中央図書館の場所を知ることができ,
親切な司書さんたちにも出会うことができました。
「地図探し」に特化して次回はチャレンジしてみたいと思います。

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