「正福寺案内~10のポイント」と「東山道武蔵路~木も見て森も見て」
「夢ブログ」にも登場した上記二編の短編が,
地元の郷土研究会の冊子に掲載予定(7月号と8月号)です。
いずれも1ページものですが,
わかりやすく興味深い内容を選んだつもりです。
掲載予定のものがあるというのは,気持ちをウキウキさせます。
さらに「東山道武蔵路」の方は,「ぜひ続編を・・・」と言われており,
今その構想を練っているところです。
まず,木下良さんの「古代官道の研究」を紹介したいです。
そして,最終的には,全国的に広がる官道をいつ誰が作ったのかに迫りたいです。
東の上遺跡(埼玉県所沢市)
西国分寺の直線道路(東山道武蔵路を地上に表現。
両脇の黄色が側溝です。幅12m×長さ340m。
もちろん北上すれば東の上遺跡に行きます)
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肥さんへ
おめでとうございます。
>「東山道武蔵路」の方は,「ぜひ続編を・・・」と言われており,今その構想を練っているところです。
肥さんといえば「東山道武蔵路」というくらいに精通されてらっしゃるから、「ぜひ続編を・・・」と言われるのは当然でしょう。「ぜひ続々編を・・・」と言わせるような続編を期待してます。(すみません、ハードル上げてしまった?)
投稿: 山田春廣 | 2019年6月30日 (日) 06:30
山田さんへ
コメントありがとうございます。
「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」の前史は,
木下良さんたちの古代官道の研究にあるので,
まずそれを押さえ,それを一元史観→多元史観へと向かわせたいと思っています。
「いつ」「誰が」「何のために」ということを明らかにするのが歴史学だと思うので…。
官道→駅鈴→国府・国分寺→東偏→方位と,「すべての研究の出発」は道から始まりました。
投稿: 肥さん | 2019年6月30日 (日) 11:06