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2019年6月19日 (水)

木も見て森も見て(古代史編)

前に「木も見て森も見て」という文章を書いたが,

書くのと実際はやはり違うもので,

昨日も木(東偏5度)にとらわれ過ぎて,森(地図の方位)を忘れてしまい,

川瀬さんにご迷惑を掛けてしまった。どうもすいません。

ただ,個々の建物が東偏であることは,街全体が東偏である傍証でもあるので,

今後も根気強く探していきたい。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 けっして「迷惑」とは思っていませんのでご安心を。
 かなり私の「時間」を消費したことは事実ですが、肥沼さんが間違った情報を発信したおかげて、私も奈文研の「鹿の子C」遺跡の情報を再精査し、東偏と思えた製鉄遺構が、この「鹿の子C」の遺跡の東部であり、方位記号も間違っているので(おそらく図を写す過程で)、遺跡の方位もほぼ正方位であることを確認できました。
 まったく発掘報告図を読み取るのは難しいものです。
 頭の体操になりましたよ。

 もっとも肥沼さんが「木を見て森を見ず」になってしまう原因は明らかです。
 それは、「東偏遺構」とみるとすぐに「九州王朝時代のもの」と大喜びするからです。
 「東偏遺構」には二種類あります。
 一つは文字通り「九州王朝時代」のもの。これは磁北が西偏時代なので、意図的に政治的に東にぶれさせた遺構です。年代は方位の考古学のテーゼで、6世紀末以前。編年が100年ずらされている関東や東北なら7世紀末以前です。
 もう一つは、磁北が東偏になっている時代に、磁石で方位を決めた遺構。
 これは10世紀の平安末以後から江戸時代初期までのもの。

 こうした事実をしっかり見ていれば、「東偏遺構=九州王朝時代」とぬか喜びをすることはないのですがね。
 肥沼さんは「東偏」狂い(自分のことを「東偏」朴と呼ぶくらいですから無理かな)を卒業しないとね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  こうした事実をしっかり見ていれば、「東偏遺構=九州王朝時代」とぬか喜びをすることはないのですがね。
 肥沼さんは「東偏」狂い(自分のことを「東偏」朴と呼ぶくらいですから無理かな)を卒業しないとね。

とりあえず「馬鹿の一つ覚え」を利用して,「九州王朝の東偏遺跡探し」の限界まで行こうと
かたくなにやってきました。(板倉さんの発想法の「とことん使って限界を知る」の応用と考えています)
でも,そろそろその弊害が出てきたようなので,これくらいにしておきましょうか。
そこで思ったのが,泉官衙遺跡です。あの遺跡は鹿の子遺跡よりさらに北にあるわけですが,
前に私が書いていた「2つの王朝の栄枯盛衰」で行けるのでしょうか。ちょっと最近自信が・・・。

肥沼さんへ

 泉官衙遺跡。「二つの王朝の栄枯盛衰」を示す遺跡だという「確信」が揺らいでいるのですか?
 その理由は何?

 今回の石岡市の常陸国府関連遺跡の精査に失敗したから?
 失敗の原因は、図を冷静に分析しないから。ただそれだけ。思い込みでやりすぎ。

 鹿の子C遺跡の分析は失敗だったけど、東偏時代の常陸国府の場所は、国分僧寺の南西側で、想定された東偏南北道の東側だという可能性を見つけたじゃありませんか。そして付言すればこの遺跡は、鹿の子遺跡のすぐ南側を北西ー南東に向いた東西路の南側だ。

 全国どこにでも東偏時代の都市遺跡は眠っています。
 数日前にやった美作国府。
 正方位の国府遺跡の下に東偏の前身官衙が眠っていた。そしてこの国府遺跡はなんと常陸国府前身官衙と同じく正方位なのに東が正面という変わった形。おそらくこの遺構のすぐ東側の谷になる目前の場所に正方位の南北道があるのだと思う。
 私はこの東偏の前身官衙を東偏時代の郡衙で、正方位の国府を正方位時代の郡衙だと考えています。では正方位の美作国府は。
 美作国は8世紀に備前国から分国した。だからこれは近畿王朝時代。
 したがって国府は正方位ではなく西偏の可能性を持っていますね。讃岐国府が西偏なように。
 正方位の美作国府はなくて、西偏の美作国府が、同じく西偏の国分僧寺の南側の平地に眠っていると私は考えている。僧寺のすぐ西の尼寺は正方位。

 あまり思い込みを強めずに全国の都市遺跡を精査していると、これからも九州王朝時代の東偏都市遺跡の痕跡に出会うと思いますよ。

 「九州王朝の東偏遺跡探し」の旅。辞める必要はない。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  あまり思い込みを強めずに全国の都市遺跡を精査していると、これからも九州王朝時代の東偏都市遺跡の痕跡に出会うと思いますよ。
 「九州王朝の東偏遺跡探し」の旅。辞める必要はない。

川瀬さんにそう言っていただけると,勇気が湧いてきます。
決して諦めた訳ではありません。ただ時々ナーバスになるということです。
今後ともよろしくお願いいたします。

肥沼さんへ

 あまり浮かれず騒がず冷静に、淡々とただひたすらに全国の遺跡の精査にまい進しましょう。これを続けているからこそ、時々見た本の中に、その痕跡を見出せるのです。
 全国の数多くの遺跡。その中にたくさんの東偏時代の街や建物の痕跡に出会うはずです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

今川瀬さんとやっている遺跡の精査は,
小さいけれど「歴史研究の方法を変革しようとする努力」の1つだと思っています。
1日5遺跡のささやかな営みでも,1年間で1800ほどの実りとなる訳ですから・・・。
ただ,あまりにも連日川瀬さんのパンチを喰らうので,
ちょっと「褒められて伸びるタイプだ」ということを思い出していただきたいと思って,
愚痴ってみた次第です。もうファイティングポーズに戻りましたので,ご安心を。

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