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2019年7月 1日 (月)

(改訂) 長門国分寺に「リベンジ」!?

※ 川瀬さんからのアドバイスをもとに,一部書き換えました。

前のものだと,「東偏➙正方位」ととられかねないためです。

「長門国分寺」は,最初からずっと東偏であり,正方位だったことは一度もないというわけです。

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昨日,多元的「国分寺」研究サイトで,

長門国分寺の金堂の地下の版築の方位から,

「東偏であった」と精査した。

これは,私にとっては,2年余り前の

「復元図」をめぐってのことに対する「リベンジ」でもあった。

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【寺域復元図】(考古学的根拠のない図。正方位では?との誤解を生む)

Photo_20190701032701

【金堂・版築の東偏】こちらは考古学的に有効な図(1982年)

Photo_20190701033201

もちろん,当時は伽藍配置について,

今回は長門国分寺の方位についてと話題は違うのだが,

何か喉に刺さった骨のようなものに

「リベンジ」できたかなと思った次第である。

 

【長門国分寺・寺域復元図をめぐって】

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2017/02/post-7d55.html

 

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コメント

肥沼さんへ

>長門国分寺の金堂の地下の版築の方位から,かつて「東偏であった」と精査した

 この書き方では間違いです。
 つまり「長門国分寺は正方位なのだが、それ以前には東偏であった」と捉えてしまう可能性があります。
 正しくは「長門国分寺を正方位で復元した図には何の根拠もない。実際の発掘データによれば、創建金堂の基壇からは、この寺院が東偏で作られたものであることは明らか」と書かないと。

 奈文研のサイトのデータでも、正方位の遺構は全く出ていません。
 正方位の遺構があり、かつその下層(もしくは近くに)東偏の遺構があれば「かつて東偏であった」と言うことができますが、正方位が無いのですから、肥沼さんの書き方は間違いです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  この書き方では間違いです。
 つまり「長門国分寺は正方位なのだが、それ以前には東偏であった」と捉えてしまう可能性があります。
 正しくは「長門国分寺を正方位で復元した図には何の根拠もない。実際の発掘データによれば、創建金堂の基壇からは、この寺院が東偏で作られたものであることは明らか」と書かないと。

では,アドバイスに従って,別バージョンを書いてみます。

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