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2019年6月 9日 (日)

「木も見て森も見て」という視点(原稿案)

● 「木を見て森を見ず」というたとえ話

よく人は,「木を見て森を見ず」という言葉で,他者を諭そうする。
細部にとらわれ過ぎて,結果全体像を見失うなというたとえ話である。
ひねくれ者の私は,最近これをもじって「木も見て森も見て」と唱えている。
確かに「木を見て森を見ず」という言葉の方が登山者の命を守れそうだが,
研究においては,「木を見て」ということも忘れてはいけないと思う。
「神は細部に宿る」のであって,まず見えやすい「木」から研究をスタートさせるのが基本だからだ。
この点本会は地域の道にこだわり,何年も研究を進めてきた。賢いやり方だと思う。
ただ,ここでとどまっていると「木を見て森を見ず」ということに陥る危険性があると思う。
道には村と村をつなぐ日常世界のものと,国府と国府をつなぐ官道という非日常世界のものがある。
地域の道を研究してきた本会としては,次に東山道武蔵路の研究へのチャレンジを期待したい。

● 東山道武蔵路をはじめとした古代官道について~より深く歴史を学ぶための参考文献

各地の開発に伴って,謎の古代官道が発見されている。
道幅12mで,原則的に直進するという特徴を持っている。
また,誰が作ったのか不明だが,東山道武蔵路が東海道にコース替えになったのが,
「続日本紀」に書かれていて,771年のこととされている。
私がこの謎に取り組んだのは,NHKの番組「古代日本ハイウェー~1300年前の“列
島改造”」を観たからである。
番組の中で「これらを作ったのは,天智か天武か,はっきりわからない」と言った通説
的見解が述べられた時,
「えっ,その時代に主権を持っていたのは九州王朝(古田武彦氏の主張)なのだから,
大和がそんな国家的事業をできるわけがない」とひらめいたからだった。
そしてそれは,その後「国分寺と国府」にも広がりを見せ,今や「方位の考古学」にま
で発展してきている。
(昔は,その時代の主権をもった権力者が,建物や都市の方位を決めることもできたのだ!)
その出発点が東山道武蔵路なので,ぜひ古田史学の会編『発見された倭京~太宰府都城
と官道』(明石書店)を読んでいただきたいと思っている。

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【内容】Ⅱ九州王朝の古代官道(Ⅰは九州王朝説による太宰府都城の研究)
・五畿七道の謎・・・西村秀己
・「東山道十五國」の比定~西村論文「五畿七道の謎」の例証・・・山田春廣
・コラム「東山道都督は軍事機関」・・・山田春廣
・南海道の付け替え・・・西村秀己
・風早に南海道の発見と伊予の「前・中・後」・・・合田洋一
・古代官道~南海道研究の最先端(土佐の場合)・・・別役政光
・コラム「長宗我部地検帳」に見る「大道」・・・別役政光
・古代日本ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?・・・肥沼孝治
・コラム「九州王朝は駅鈴も作ったか?」・・・肥沼孝治

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