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2019年6月18日 (火)

石岡市は,九州王朝が作った東偏の街か?

私は4年ほど前に,「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」

という文章を「古田史学会報」に載せていただいた。

今回その題名をマネてみると,「石岡市は,九州王朝が作った東偏の街か?」ということになる。

すでに防府市(山口県),府中市(東京都)が東偏の街ということを話題にしてきたが,

第三の街・石岡市(茨城県)という訳だ。

ポイント1・・・隣り合う常陸国分尼寺と鹿の子C遺跡が東偏5度を示す。

ポイント2・・・常陸国分尼寺とペアの常陸国分寺も,地下の版築で東偏を示している。

ポイント3・・・茨城廃寺が地下の版築で東偏を示し,それとペアの外城遺跡(茨城評衙)の周辺遺跡が東偏である。

そして,これらは推定官道をはさみ,3キロほどの直線を形作っている。

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コメント

肥沼さんへ

 何かの間違いではないか。
 国分尼寺の西にあるのは「鹿の子A」遺跡だ。そしてこの遺跡は正方位。

 東偏なのはもっと西にある「鹿の子」遺跡。しかも東偏30度ほど。(地図の9-B 11のところ)

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

教育委員会では,全体として「鹿の子遺跡」と呼ぶ方向で動いているようです。
私の言っている「鹿の子C遺跡」は常磐自動車道の下のやつです。
アップします。

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