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2019年6月13日 (木)

柏原池の南に「条里遺構」らしきものがありました

石岡市立中央図書館の2階に「郷土資料コーナー」があり,

そこで2人の司書さんに手伝っていただいて,地図探しをしました。

なかなかいい資料がなかったのですが,

鹿の子遺跡の近くに今は公園としても利用されている柏原池があり,

古代から堰き止めて利用したもののようです。

その地図の中に「条里遺構」らしきものが出ていたので報告します。

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Img_3018

Img_3017

(クリックすると拡大します)

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 現地調査お疲れ様。やはり駆けつけましたね。
 でもこれは「古代の条理遺構」なのでしょうか。地形を考えてください。丘の上です。
 条理遺構は水田を区画したもの。これは近代の産物では?

 ちなみにこの条理状区画は、木下良さんの「国府」の常陸国府とその周辺の地図にも見られます。

古代から北西に延びる道路があって、この道路に沿って近代以降に丘の上が宅地開発されてこうなったのだと思います。

追伸
 
 肥沼さん。説明をちゃんと読みましょうね。
 柏原池の下には古代の条理遺構があると、書いてあります。柏原池は谷をせき止めてつくったわけだから、その谷戸の平地が古代にも水田であって、そこに条里制を敷いた痕跡が残っていたというわけですね。
 したがって柏原池の南方の丘にある鹿の子の街の「条理状」街路は、近代のものです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

もしやと思って,前に買っておいた『関東条里の研究』(東京堂出版)を開いてみました。
「鹿の子条里」はやはり当たっていたようですよ。
関口慶久(水戸市教育委員会)という方が書いている「茨城県南部・東部の条里」
という文章の一部をアップしますね。

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