ノーベル賞・野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感
2001年にノーベル化学賞を受賞した野依博士。
日本の教育を怒っているようです。
何を怒っているか興味のある方は,ぜひ読んでみて下さい。
【ノーベル賞・野依博士・「本気で怒っている」日本の教育に危機感】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20〈〉190625-00010002-wordleaf-soci
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コメント
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肥えさんへ
学問=科学というのは、つまるところ、問いを立てて、その答えを得ることによって、新しい知見を得る、ということなのですね。好奇心をもち、疑問なことを見つけて、自ら問いを立てて、その答えを探求する、ということ。既製のことに疑問を持たないようにしむけている教育は、既存の利権を守るのに役立ったとしても、新しいことは何ももたらさない。当たり前、自明なことをおっしゃっています。お怒りはごもっともです。
投稿: 山田春廣 | 2019年6月27日 (木) 14:18
山田さんへ
コメントありがとうございます。
〉 既製のことに疑問を持たないようにしむけている教育は、既存の利権を守るのに役立ったとしても、新しいことは何ももたらさない。当たり前、自明なことをおっしゃっています。お怒りはごもっともです。
本当に,その通りですね。
政治家には現体制を変える気はさらさらないのですから・・・。
投稿: 肥さん | 2019年6月27日 (木) 16:31
肥沼さんへ
もっと早くにコメントしようと思っていたのですが、やることが多くて、今日初めて野依さんの教育批判を読みました。
もっともな正しい疑問と批判です。
でもこの方にもインタビューした人にもない視点。
このようなまっとうな批判は、明治以来この150年間、何度となく行われたということです。戦後だけで見ても、1970年、そして1990年代、そして今。
何度も何度も、考えること、何が問題か見つけ出し、それへの回答を探り出すこと。こうした力をつけるのが(=科学的・論理的思考力)大事だし、広く言えば物事への感受性や他者への関心など、豊かな心を育てることが大事。何度同じことが言われその都度教育改革が行われたが、実際には何も変わっていない。
明治以来日本の学校教育は教科書を暗記させるだけ。
この歴史的理由を解明しないと。
明治はある意味わかる。
後進国が急速に先進国に追い付くには、短時間に知識レベルの高い人を大量に養成しないといけない。だから覚えることが第一義になる。
でも一定程度国民教育が普及し、先進国に教育レベルが追いついたとき、今度は創造性こそが命だ。
そもそも高等教育は創造性を伸ばすためにある。でもその基礎は初等中等教育ではぐくまれるので、この段階からも創造性を伸ばさないといけない。だから小学校でも覚えるだけの教育では先細りは見えている。
明治から昭和にかけて欧米に追い付け追い越せと目先の利益を追い続けた結果、100年先を見た教育改革ができなかったのだろうね。
でも1920年代。欧米もそして日本もこの創造性や想像力を基調とした新教育運動が広がった。西欧なら自由ヴァルドルフ学校(いわゆるシュタイナー教育)やイギリスのニールの教育など、次々と「自由主義教育」という物が広がった。日本でもこの流れの中で、今の成城学園や自由学園や玉川学園などの学校ができた。これらは国家による教育への反対運動でもあった。国家が必要とする人材ではなく、全人教育が目標。この流れによって日本では赤い鳥のような雑誌が生まれ、文部省唱歌ではない、童謡が生まれた。
でも欧米でも日本でもこれは主流にならなかった。
どこでも国家による教育が主流だった。国家による教育は、その時その時の国家が必要とする人材を養成しようとする目先の教育になる。自由主義教育の目標は全人教育。
日本の戦後の教育改革で掲げられ、教育基本法の根幹となったのが全人教育。戦後改革を指導したアメリカ人はニューディール派だから、教育では全人教育派。
でもこれは全く骨抜きにされ、実現されなかった。
理由は簡単。戦後復興が優先されたから。復興と経済成長のための即戦力となる実学を学んだ人材の養成が不可欠だった。だから覚える教育はそのままで、全人教育を掲げる普通科高校は形骸化し、実業高校が蔓延した。
でも高度成長が進み、1970年代ごろ、世界市場が飽和してくると、技術開発が産業発展の核になった。そうなると特許をほとんどアメリカに握られてはだめ。
だから1970年代中央教育審議会が覚える教育を批判した。
でも何にも変わらない。
だから1990年代。中曽根内閣の肝いりで中央教育審議会が作られ、教育界(文部省など)以外の分野、特に経済界と科学者の世界からの人があつまって教育改革をしようとした。
でもかわらない。
その中で90年代後半に教育界の中枢文部省が急に、考える教育を打ちだし、学校や学科を大幅に改変しようとした。いわゆるゆとり教育。
でも「ゆとり」と言ってしまった段階でこの改革は骨抜きに。
この改革をつぶした中枢は安倍など、戦前の覚える教育・修身型教育を信奉する右派だった。
何度も改革の必要性が唱えられながら、相変わらずの後進国型の教育なのか。
野依さんも同じだがすぐこの問題を「民族性」に帰着させる。でもこう考えたら日本人は保守的で何も先を見ない馬鹿者ということになってしまう。
むしろ野依さんのもう一つの発言。明確な国家目標戦略がないのが理由だろう。
先進国に追いつけ追い越せ。これも国家目標戦略だが、これが実現してしまった1930年代以後、日本はどんな国どんな社会をつくるか目標をうしなった。
戦争の敗北で打ちのめされ、戦後復興と叫んでいた時これが国家目標だった。
でもまた1970年代。アメリカに次ぐ第二の経済大国になったとき。国家目標がまたもないことが明らかになった。
しかも資本主義世界市場はすでにこの時代に飽和状態。
世界市場で競争して儲ける時代にも陰りが見えてきた。でも新たなモデルがない。
明治以来行われた何度もの教育改革。その実態と効果と「失敗の原因」を歴史的に再検証することなく嘆いていても何にもならないと思いますよ。
こうした歴史的視点がないから、安倍政権などの教育改革の座長となり、教育を儲け口にする活動のお先棒を担いだことすらこの方は理解していないと思います。安倍がめざす教育は、戦前の修身型の覚える教育だ。そして高度成長を夢見るので、実学主義になる。野依さんと真逆。真逆の人と手を組むなど。この人何も政治が現実が見えてないね。
投稿: 川瀬 | 2019年6月27日 (木) 17:40
川瀬んへ
コメントありがとうございます。
〉 明治以来行われた何度もの教育改革。その実態と効果と「失敗の原因」を歴史的に再検証することなく嘆いていても何にもならないと思いますよ。
こうした歴史的視点がないから、安倍政権などの教育改革の座長となり、教育を儲け口にする活動のお先棒を担いだことすらこの方は理解していないと思います。安倍がめざす教育は、戦前の修身型の覚える教育だ。そして高度成長を夢見るので、実学主義になる。野依さんと真逆。真逆の人と手を組むなど。この人何も政治が現実が見えてないね。
野依さんが座長となって,少し期待していたところもありましたが,
結局政府のめざす「教育改革」のお先棒を担がされることになってしまったのは悲しいことです。
現役時代,あらためま感じたことは,新しい指導要領か出るたびに,また「前回の反省なしの提案」であるということでした。
『たの授』誌に前に出ていたグラフですが,暗記→自由→暗記→自由→暗記の繰り返しでした。
目先のではなく,100年先でも有効な「本物の教育改革」を実現するために,仮説実験授業や古田史学で学んだことを発言していきたいと思いました。
投稿: 肥さん | 2019年6月28日 (金) 03:48