やはり常陸国分僧寺の「前身」も東偏だった!(かも)
「僧寺が正方位で,尼寺が東偏5度・・・」なぜ,両者にこんな違いが?
(武蔵国分寺も,西偏7度と東偏2度が問題になりました)
「これは何か隠されているぞ!」という私の直感に,
川瀬さんが「地業跡」という学問的方法で応えて下さいました。
そもそも「僧寺が正方位である」という想定自体が間違いであるかもしれなかったのです。
本当に,川瀬さん,ありがとうございます!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さっそくデータベースの図を示してみます。
【金堂】
【講堂】
【西側回廊の曲がり角】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の気づきは,石岡市ふるさと歴史館が1回目に行った時「月曜休館」で,
翌日水戸の茨城県立図書館で外城遺跡の発掘調査報告書を調べに行った帰りに,
前日入館できなかった歴史館に行くことが出来たことが幸いしました。
駅までの帰りしな,道路に記された観光案内の表示に「尼寺後まで,1.5キロ」とか出ていて,
「僧寺と尼寺はずいぶん距離が離れているんだなあ。そういえば方位も違っていた気がするぞ!」
と思いつつ帰ってきて,多元的「国分寺」研究サイトの精査のところを見たら,やはり5度違いました。
「そうだ,この疑問を川瀬さんに質問してみよう」ということになったわけです。。
大きな収穫になって,2日分の電車賃と疲れが,価値のあるものに思えてきました。😃
« 池田清彦の『やせ我慢日記』 | トップページ | 母帰る »
「古田史学」カテゴリの記事
- 新田郡庁跡と泉官衙遺跡の時期の比較(2021.01.20)
- 日本最大の大きさの「新田郡衙遺跡」(2021.01.18)
- 郡山遺跡Ⅱ期と多賀城Ⅱ期の「石敷き」(2021.01.18)
- 新田郡衙遺跡の「5段階」の変遷(2021.01.18)
- 新田郡衙遺跡の「石敷き」の範囲は?(2021.01.18)
コメント