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2019年6月13日 (木)

「鹿の子条里」という名前だそうです

もしやと思って,前に買っておいた『関東条里の研究』(東京堂出版)を開いてみた。

そしたら,関口慶久さん(水戸市教育委員会)という方が,

「茨城県南部・東部の条里」という題で論文を書いていた。

「鹿の子条里」はその先頭に地図付きで出てくる。

ご覧に入れましょう。

Img_3026

Img_3027

(クリックすると拡大します)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

金田条理遺構は、金田官衙遺跡群が存在する丘陵平坦部の下の平地だから理解できるが、鹿の子条理は、柏原池のある谷の上の丘陵平坦部だ。そんなところに条理遺構があるのだろうか。丘の上には水田を作ることは古代では無理です。
 本当に学者が条理遺構として認定したのでしょうか。はなはだ疑問です。
文章を読んでみると豊田さんという研究者が「条里制遺構だ」と主張しているだけと思われます。

追伸

 豊崎さんが書いた条理遺構とは、柏原池の地下の36か所の条理遺構のことです。この論文をまとめた人の勘違いです。
 「柏原地下の矢向地には、36に分割した条理遺構がみられる」。
 柏原池下の矢向地じゃないかな。

 前の柏原池の説明と照らし合わせてください。そっくり同じです。
 鹿の子条理遺構は幻です。

やっとわかった。
豊崎論文の「柏原地下の矢向地には36に分割した条理の遺構をみる」の意味。おそらく文字の変換間違いが含まれている。柏原池の説明資料の「諸説1」と照らし合わせよ。
 正しくは「柏原池下の谷向地には36に分割した条理の遺構をみる」だ。
 池の下ではなく、池の下流の山王川流域の谷向の地域という意味だろう。グーグルマップで「石岡市鹿の子」で検索すると、この柏原池下流の谷戸水田がよくわかる。
 通常条理水田はほぼ100m四方だが、現在でもこの谷戸田は一枚が100m四方だった痕跡を見事に示している。ここが柏原池の説明にあった「柏原条理」だ。
 だがこれも発掘調査はされていないもよう。豊崎氏の地理学的見解だ。

 「鹿の子条理」を主張しているのは水戸市教委の関口氏だ。
 鹿の子町の条理状道路は地図で見てもグーグルマップで見ても200m四方であり、36か所などない。関口氏が豊崎論文を誤読した結果だと思われます。
 この条理状道路を古代の遺構というのなら、これは水田の条理遺構ではなく、方八丁と同じように、古代の官衙遺構の痕跡と主張するならわかるが。
 

再追伸

 「矢向地」は「谷耕地」の変換間違いですね。おそらく。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

いろいろ勉強になりました。
白い地図に色を塗ってみました。
アップしましたので,ご覧下さい。

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