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2019年5月 8日 (水)

都は正方位・・・とは限らない

東偏の遺跡が九州王朝の証拠ではないかと考えて,

その資料を集めていた昨年の夏。

府中研究会(川瀬さんと私)では,「どうして東偏なのか」という話題がよく出ていた。

確かに古い官衙や国分寺が5度東偏していることが多いのだが,

それも九州王朝が作った東山道沿いに色濃く分布しているのだが,

「なぜ,そうなのか」という点では「よくわからない」としか言えなかったのだ。

そこで,もう一歩先までたどり着きたいと思った私は,ついに海を渡り,中国に向かった。

「もしかしたら,中国にその手本があったのではないか」と・・・。

そして,それは検索の上,まず建康で見つかった。

攻め滅ぼされ,建物は残っていないが,ちゃんとその地域は東偏の形に残っていたのであった。

古田さんは,島めぐり読法を発見した時,2階から駆け下りたそうだが,

私はそうもいかなかったので,ドキドキしながらその発見の顛末を「夢ブログ」に書いた。

建康(南朝の都)は,東偏の都だった!

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/08/post-2775.html

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