法隆寺のなかの〈北魏様式〉と〈南梁様式〉
ある建築のサイトを見ていたら,「日本に残る中国南朝の文化は飛鳥文化」と書いてあった。
法隆寺でまず思い出すのは「釈迦三尊像」の北魏様式だったので,
法隆寺には両方の要素があるのかと書き留めておきたくなった。
もし法隆寺が九州からの移築だとすれば,それもありうるのかなと思ったからだ。
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北魏様式
まずは「北魏様式」を。北魏様式の主な作者は鞍作鳥で主なものに、
飛鳥寺の釈迦如来像、法隆寺夢殿の救世観音像などが有名です。
南梁様式
お次は「南梁様式」です。法隆寺の百済観音像が有名で、それに写実的な味わいを付けたのが、
中宮寺の半跏思惟像や広隆寺の半跏思惟像が有名です。
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