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2019年5月17日 (金)

石神遺跡の変遷図に,「時代の画期」を感じた

奈良県の石神遺跡の変遷図に,「時代の画期」を感じた。

というのも,滝澤誠さんの「前期評衙政庁の構造と原型」のなかに.

石神遺跡のA3期の図が出ていて,「迎賓館」と呼ばれていたことを思い出したからである。

Img_2554_1

では,どのようにしてそれは出来上がっていったのか?

江口桂『古代官衙』(ニューサイエンス社)には,ありがたいことにそれが出ていた。

Img_2556

上の左がA2で,右がA3である。この変貌ぶりはどうだろう。

本当に驚くしかない。何がなければ.このような変化は起こらないだろう。

また,果たして「迎賓館」に招かれたお客様とは,海の向こうの「外国」の方だったのか,

それとも同じ日本列島に住む「外国」の方(九州王朝の天皇)だったのか,とも想像した。

(西寄りに.四面庇が2棟ある。周りは石敷き。この先をさらに南に行くと,例の石造りの井戸を中心とした庭園がある)

それが,右下のB期になるとすっかり影をひそめ,実務中心の官衙街と変化している。(四面廂もなし)

そして,右下のC期はそれが衰えた姿に見える。(律令制の衰退?)

私は,福島県の泉官衙遺跡に二つの王朝の「栄枯盛衰」を見たが,

この石神遺跡でもまた,それに近いものを感じたのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

A2期・・・白村江の戦い前(7世紀前半)

A3期・・・白村江の戦いで九州王朝が敗れた後(7世紀後半)

B期・・・日本の支配者となり,近畿王朝がスタート(8世紀)

C期・・・律令政治の衰退(9世紀以降)

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