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2019年5月31日 (金)

「茨城評衙」についての論文(千葉隆司さん)

例の「茨城評国衙」について,研究者はどう評価しているのか知ろうと,

インターネット検索してみた。

すると,下のような論文がヒットした。

3の「茨城郡衙推定遺跡の外城遺跡」を読んでみた。

茨城郡衙とは評価されてきたが,評衙とまで言い切っていいのか,

資史料の不足から断定しかねているようだった。

確かに堀があるように,中世は城として使われたらしく,

そのための破壊もあったのであろう。(南側=河岸段丘,北側=堀)

ともかく「候補地」であることは,研究者たちも認識していたようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「常陸国茨城郡衙の一考察― 設置の背景を探る  ―」
(千葉隆司さん)

https://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2010/16CHIBA.pdf#search=%27%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E8%A9%95%E5%9B%BD%E8%A1%99%27

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この千葉さんの論文については,すでに三年前に多元的「国分寺」研究サイトで,

川瀬さん,山田さんと議論がされていました。どうもすみません。

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コメント

肥沼さんへ

 あやまることはないですよ。
 どこかでこの国府と評衙の問題は論じたことがあるなと思っていました。
 ちなみに、木下良著『国府』では、2国府の立地と形態の中に常陸国府が地図入りで論じられています。p105です。
 この図の記憶があったから、常陸国府の初期官衙は茨城評衙ではないと論じたのです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

この3年間の研究の結果,いろいろな新知見がありました。
そのことを確認するためにも,
「学びて,時に,これを習い・・・」という時間も必要だなと思った次第です。

肥沼さんへ

 研究というものは行きつ戻りつするものですよ。前に同じテーマに触れたときにはそれほど重要な案件だとおもっていなかったから、わりと簡単にスルーした。でも次に同じテーマに触れたときには、問題意識が違うので、前には見えていなかったことが見えてくる。
 今回の常陸国府変遷の問題から出てきた茨城評衙の問題はまさしくそれ。
 三年前は東海道の終点として常陸国府を論じていて、茨城評衙は常陸国を作る前の茨城国府もしくは常陸国ができたとき一時的に国府機能を置いた場所としてしか意識されていませんでした。だからここに東海道の終点があったのではと論じただけ。
 当時の肥さんは、国分寺の伽藍や国府国庁などの官衙遺構の建物配置にはほとんど関心がなかったですからね。
 昨年からほぼ一年間、武蔵国府のありかの探索から始まる「方位の考古学」研究の結果、官衙遺構や寺院遺構の建物配置についての肥さんの認識と興味はずっと深まっていますから、新しい視点で見ているのだと思います。

 ところで「玉乃井」だけではなくて、まだまだ倭武天皇に関する伝承はあるのじゃないかな。そしてそれ以外にも日本武尊の伝承地となっているところもまた本来は倭武天皇関係の伝承地ではないでしょうか。
 常陸国府の検討から「倭武天皇行宮」が出てきたついでに、これらの伝承をひとまとめにして探求しておきませんか? これと官衙遺構・寺院遺構とを組み合わせて見ていくと、面白い研究になると思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  研究というものは行きつ戻りつするものですよ。前に同じテーマに触れたときにはそれほど重要な案件だとおもっていなかったから、わりと簡単にスルーした。でも次に同じテーマに触れたときには、問題意識が違うので、前には見えていなかったことが見えてくる。

本や映画でもそうですが,一回目の時には見えていなかったものが,
その後いろいろ経験してから見ると,前には見えていなかったものが見える。

〉  昨年からほぼ一年間、武蔵国府のありかの探索から始まる「方位の考古学」研究の結果、官衙遺構や寺院遺構の建物配置についての肥さんの認識と興味はずっと深まっていますから、新しい視点で見ているのだと思います。

ということは,少しは私も進歩しているということですね。そう考えて,次に進むことにします。

〉  常陸国府の検討から「倭武天皇行宮」が出てきたついでに、これらの伝承をひとまとめにして探求しておきませんか? これと官衙遺構・寺院遺構とを組み合わせて見ていくと、面白い研究になると思います。

さっそく新テーマをありがとうございます。昨日現代語訳なら手に入れましたので,それをアップしてみましょう。

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