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2019年5月12日 (日)

清瀬市郷土博物館(3)

内田さんが仕事を再開される昨日,上記を訪問し,

30分ほどお話させていただきました。(文責・肥さん)

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(1)悲田処について

東山道から東海道にルート変更があり,かつて東村山にあった悲田処が柳瀬川の下流の清瀬に移ったのではないか。

東村山には西武のバス停はあっても,考古学の遺跡がない。

清瀬には三面廂の建物と治療小屋のような壁のない掘立柱建物の長屋があり,相模国のものと似ている。

久米川➙清瀬➙東に向かって常陸へ通じるルートの途中のようである。

(2)「日本書紀」の編年について

「日本書紀」の編纂に当たって重要なことは,「日嗣皇子」をどう考えるではないか。

天皇(大王)が死んで,次の天皇がバトンタッチするのは明治以降のやり方で,

古代には皇太子(日嗣皇子)が立った時点で権力移譲が成立。前の天皇は隠居状態に。

それをカウントできていないので,年数が600年以上増えてしまっている。

それを精査すれば,海外史料とも合ってくると思う。

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昨日は,何かの「模型作り」をされていたようで,

その日にノーアポで訪問してしまい,失礼いたしました。

これに懲りずまたお話を聞かせて下さいませ。

お土産として,『肥さんのこの10年~50代の仕事』を差し上げました。

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