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2019年5月 8日 (水)

『幸福とは何か』

長谷川宏著,中公新書.880円+税の

上記の本が今日届いた。

まだ全然読んでいないが,ソクラテス・アリストテレス・エピクロスとセネカ・

ヒューム・アダムスミス・カントとベンサム・メーテルリンク・アラン・ラッセルといった

多彩なメンバーが登場してくるようだ。

少しずつ読んで,「幸福とは何か」について考えていきたい。

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コメント

肥沼さんへ
 取り上げられた哲学者の名前を見ているだけで、西洋哲学の概説だとわかりますね。じっくり読んでみてください。

 私の方の「日本精神史」だいぶ読み進めました。
 日本の歴史の中の文物から精神のありかを読み取ろうとする試み。文学・宗教・芸術の三つの分野にわたるものを選んだとのこと。
●第一章:山内丸山遺跡
 巨大竪穴住居と6本柱の掘立柱建物を取り上げています。共同意識の在り方が建物の巨大さに向かっているとありますが、その理由は考察されていない。特に掘立柱建物を意識して「自然への挑戦か」とされています。高さ20メートルを超える建物だから。
 でもこの建物、復元当初から、建物ではなくて6本柱ではないかとの批判があったことを長谷川さんはご存知ないのだろうか。つまり縄文遺跡に多く見られる巨木信仰の証と。この観点に立てば「自然への挑戦」ではなくて「自然への祈り・一体化」だ。後の章古墳の所で、「これまでは宗教施設との観点を排除してきた」とされている。どうして日本古代の文物を考えるときに「宗教性を排除する」のかが理解できません。西洋近代哲学が、反宗教=宗教の超克の傾向が強い影響でしょうか。
●第二章:火炎土器と土偶。
 ここでは「土に込められた美と祈り」とまとめられています。縄文土器の文様は実用ではなくて宗教的なものと。そして土偶も同じと。
 本当にそうか。縄目文様は土器を作ってその表面を固める際に押し当てた布や縄の跡と考える考古学者もいる。こうした人は土器を復元して考えた。だからこれは実用的な文様。では特に取り上げた火炎土器は宗教的なものとの判断で良いのか。長谷川さんは火に対する人間の心性からして、火への崇拝だとする。でも火炎土器という名称に引っ張られ過ぎだと思う。本当に火炎の抽象化なのか。そうではないかもしれない。
 土偶は多くが女性をかたどっている。そして多くは掌に載るくらい小型で粉々に砕かれて捨てられている。ここを指摘しながらその意味を問わないのが解せない。安産のお守りではないのか。
 土器と土偶そのものの追及が中途半端なので考察も中途半端。
●第三章:銅鐸。
 弥生人の共同性を見るのはそれでよい。だがどういう共同性なのか。楽器であった可能性は指摘してある。つまりは神を祀る際の楽器と。これは良いと思うが。
 そして全く考察していないことは、銅鐸が近畿と東海からしか出土しないこと。そして紀元3世紀初までには集落から離れた場所に大量に埋納されてそれで終わること、こうしたことの意味が全く考察の対象外なのが解せない。
 長谷川さんは古田さんの九州王朝説をご存知ないのだろう。古田説によれば、銅鐸は九州倭国に対立する国・文明の象徴。だからこの地域が侵略征服されるにしたがって廃棄されたと。
 ここでも銅鐸と同じ時代の青銅器の歴史の探求が中途半端。
●第四章:古墳。
 古墳が権力者の墓であり、神として祀られたものであること。これは間違いない。長谷川さんはこれを推測しているが、吉野ヶ里遺跡の弥生墳丘墓の正面に鳥居が据えられていた事実をご存知ないのだろうか。
 また古墳の墳形の地域による違いにも注目されていない。
 そして古墳の発生の地域の認識もない。また前方後円墳の発生を大和盆地としたり、大和に特徴的な巨大前方後円墳を、統一政権としての大和王朝の国王を祀った全国的に豪族の力を結集したものとするなど、近畿一元主義の定説そのままなのも解せない。
 まったく古田さんの九州王朝説をご存知ないのだろうか。あえて知っていても排除したのか。
●第五章:仏教の受容
 この章の考察の中心は、これまでの神道の魂信仰と仏教の仏像崇拝の違いだ。そして書紀の仏教公伝の考察の特徴は、これは信仰の違いを背景として、伝統信仰を守る派と外来の文化を広める派の対立と理解しているところにある。これも近畿一元史観そのまま。
 九州王朝説を知っていれば、この仏教公伝は近畿への仏教伝播の話であり、受け入れ派の蘇我氏が言ったという「西国では広く受容されている」の意味は、西にある九州王朝領域ではすでに国教化されているの意味でしかない。言い換えれば蘇我は九州王朝に従う派で物部は独自路線派。
 九州王朝説を知っていれば、この対立が信仰の対立ではないことは明らか。
 そして長谷川さんの考察で不思議ないのは、一つはまったく神道と仏教は全く異質だとしながら、仏教の信仰の本質をまったく考察していないことだ。仏教は仏像崇拝としか定義されていない。そして二つ目にはなぜ異質の仏教を受け入れたのか、その理由を考察していないこと。
 この二つ目に関わって、最初の寺院である飛鳥寺は仏塔を中心としたものであることを指摘しながら、仏塔とは釈迦の遺骨を安置したものであり、このため釈迦の魂信仰の形態をとっていることを指摘していない。当時の仏教が、魂信仰の形だったことが、魂信仰の神道の国に仏教が受け入れられた背景であり、やがて仏と神との一体化が始まる背景だ。
 長谷川さんは仏教の歴史をご存知ないのではないか。
 釈迦は神を信じない唯物論者。彼は物事の因果関係を考察し、病気や貧困の背景には階級差別と富の偏在があることを見抜き、社会改革を唱えた。これが初期の仏教であり、これは社会思想であって宗教ではない。釈迦自身が宗教ではないと断言している。だがこの危険性により排除される可能性を理解した釈迦の弟子たちの中から、釈迦の教えをインドで支配的だったバラモン教の教えと一体化させる動きが始まり、死後の釈迦の魂を神として崇める形に変えてしまった。そしてやがてバラモンの神々を仏を守る神々として取り入れ、のちには釈迦やこれを守る神々の姿をもした仏像(仏像の起源はギリシャの神像)を礼拝する形に変えた。日本に伝えられた仏教とはこのバラモン教と一体化しものだったのだ。バラモン教とは神道と同じく魂信仰の宗教。
 こうした仏教の歴史と日本における仏教需要の歴史をご存知であれば、もっと違う精神史が出てきたと思う。

 とりあえず第一弾はここまで。
 西洋哲学史に詳しい方が、日本人の精神の歴史に興味を持たれた背景を知りたいところだが、西洋にかぶれている人の多くがそうであるように、日本の歴史に対するあまりの無知に唖然としました。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

長谷川先生は,古田武彦氏の本は読んでいないと思います。
書斎に入らせていただいたこともありますが,古田著作は皆無でした。
(板倉さんの書斎には,『古代は輝いていたシリーズ』など数冊ありましたが)
ただ,九州王朝説は私が何冊かガリ本を贈呈しているので,
まったく知らないというわけではないと思います。

第一章は,原稿の段階でコピーをいただいて,「意見を聞かせて」と言われたのですが,
あまり私の興味とマッチしておらず,ご意見を差し上げらずに終わりました。

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