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2019年4月16日 (火)

1枚の地図から,謎解きは始まった

古くからの読者は,何回も見たことがあると思うが,

私の古代史の謎解きの旅は,下の1枚の地図から始まった。

Img_2116

武蔵国分寺・尼寺を中心とした地図なのだが,これを見て私は「おやっ」と思ったのだ。

何かというと,左側(西)の国分尼寺と右側(東)の国分僧寺で方位が違うのだった。

あとで調べたら,尼寺は西2度,僧寺は西7度だったので,差し引き5度違っていた。

「まあ,僧寺と尼寺は違う建物だから,向きが違うということもあるのかな」くらいに思った。

ところが,「あれっ」とさらに思った。同じ僧寺の伽藍のはずの塔と金堂以下の建物は,

もっと大きく角度が違うのだった。(塔はほぼ正方位なので,7度の差!)

これは何かある。もしかしたら,九州王朝のことが絡んでくるのではないか・・・。

そのようにして,私の古代史の旅は始まったのだった。

実は正直言うと,塔を九州王朝が建て,近畿王朝は金堂以下の伽藍を作ったのではないかと私は考えていた。

まさか「第三の男」が登場するなんて,想像もしていなかったのだった。

しかし,2つの王朝がこの武蔵国分寺・尼寺に関わっているのではないかという思いは,

私に多元的「国分寺」研究をスタートさせるエネルギーを与えてくれた。

Img_2117

(つづく)

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