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2019年4月27日 (土)

頭慢の「音楽歴」にからめて

毎月続けている頭慢ライブ。(2017.3~。現在26回)

いろいろな曲がありますが,私は「世の中の全ての事がわかるかい」のサビ

「少しずつ少しずつ高みを目指して行く・・・たとえ明日死ぬとわかってても

100年後の自分を目指して一歩ずつ,高みを目指して行く♪」

の歌詞がとても気に入っています。私もそうありたいです。

さて,頭慢のサイトに,「音楽歴」というものがあります。

私にとっては,「肥さん年図」みたいなもので,興味を持ちました。

頭慢は,私より5歳年下で,同じ世代とも言えるし,次の世代とも言える感じ。

その「音楽歴」に私の「音楽歴」を乗っけてみることにしました。

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音楽歴

1963 埼玉に生まれ埼玉で育つ。6歳上の兄の影響でフォークソングになじむ。

テレビの歌謡曲番組も好きで、アグネス・チャンにときめいた。

★肥さんは,1958山口県岩国市に生まれ,3歳から父の実家である東京都東村山市で育ちました。

1973 小学3年~4年。この頃から作詞・作曲をはじめる。楽器は最初ウクレレを弾き、

やがて、フォークギターを親に買ってもらった。明星や平凡の付録の歌本で、知ってる歌を

ギターを弾いて片っ端から歌ってた。★肥さんも,ウクレレから楽器に入門しました。

1976 中学時代にブラスバンド部に入ろうかとも思ったがやめた。 ★肥さんは,中2でギターを始めました。

そういうのに入ってれば、もっと音楽的な質は高まったかも。結局中学時代音楽的に目立った動き無し。

1979 高校に入るが、高校にフォークソング部的なとこが無かったことは残念。高校時代は石川ひとみのファン。

★肥さんは,写真部のほかに,フォークソング愛好会というのにも所属していました。赤門塾の夏合宿に参加し,「鬼無里村讃歌」「労働(先発隊の忙しさ)」を作詞・作曲しました。


1980 この頃、十数曲、高校の友人、上野ゆきながの作詞に曲をつける。人の作詞に曲をつけることを初めて行った。


1980 高校の文化祭、所属部(音楽系ではない)の呼び込みで廊下でギターを鳴らし長渕剛を歌いまくって人だかりをつくる。これが人前で歌う喜びの原点となった。


1981 高校三年の文化祭で初めてのライブ。友人との二人組ユニット「とりぱのそーま」で出演。全曲オリジナル。


1982 大学に入って、前年に創設された「オリジナルソング研究会」(以降オリソン)に入る。音楽活動が盛んになる。
1982夏? オリソンの定演が、サークルに入って初めての外部向けライブ。3人組ユニット「こーえつと仲間たち」として出演。
1982冬 浦和「ヴェルデ」のホールでオリソンライブ。後に「とーまん金」と名付く柿野金太郎とのユニットで出演。ライブで初めてカバー曲も歌った。演ったカバーは、BUZZの「はつかり5号」と松本伊代の「風のソネット」。
1983.3.2 オリソン卒業生の卒業ライブを観て感銘をうけ、バンド指向が強まる。
1983 奥村雅信とのユニット「SQUAL」結成。最初に一緒に演った歌は「首のないおひな様」。はじめ、アコースティックデュオだったが、その後二人を中心とするバンド構成に。
1984 BARLとのユニット「TRISTAN」結成。BARL作詞とーまん作曲の歌が50曲有余。それらをアコースティックサウンドで演るグループとして結成した。
1984.10.27 SQUAL公看祭ライブ。公衆衛生看護専門学校の文化祭にゲスト出演。二人のアコギデュオで演奏。後に嫁となるゆぴさんを引っかけた。
1985.3.12 このオリソン定演に、初めてバンドとしてSQUAL出演。
1987 大学卒業。卒業後も少しの間、SQUALとTRISTANを継続したが自然消滅。
1991? 女性ボーカル千夜野のバンド「Combrio」に参加。作曲&ギター&バックパフォーマンス担当。このあと、何度かライブを行う。
1992.5.30 醍醐伸明、マイケル井上とともに「超人会」結成。ライブハウスRITS(新高円寺)にてライブ。
1992.10.4 超人会ライブ 川口リリア小ホールにて。超人会の活動は、ここまでのライブ2本だけ。(後に「超人会みたいな」として一度復活)
1992.11? Combrio 外環自動車道 川口ジャンクションの開通イベントでライブ。
1994.9.3 Combrio 日比谷野音ライブ
1994.12.25 オリソンオールスターフェスティバルにて、柿野金太郎とのユニットとーまん金(頭慢金)で出演。とーまんを漢字表記にしたのはこの時が初。また、SQUALも復活して出演。
1996.8.10 秩父ミューズパークでライブ。Combrioの出演ほか、ゆぴさんのバンド「お日様さんさんバンド」のベーシストとしても出演。
1997 この年位までCombrioとしての活動。色々あって消滅。その後、音楽活動停止。
2010 「彼女の憐憫」「大切にしたい」を醍醐伸明のプロデュースのもとスタジオ録音。
2011.6.10 ライブ活動再開。東京 新宿の「レノンハウス」をメインに、アコギ弾き語りでライブなど行うようになった。気持ちを一新する意味で、音楽をやるときの名前表記は漢字で「頭慢」とする。
2013.5 その後、東京都内各所でライブ活動を行っていたが、この頃、感染症などで、喉を壊し、まったく歌えなくなる。半年以上、歌えない日々が続いた。
2013.11.17 半年の養生で声がもとに戻り「レノンハウス」でライブ再開。喉を傷めて高音域が出せないころ作った歌『涙のさいたま新都心』を披露。
2014.8.9 埼玉 南浦和「宮内家」にて、大学の先輩の青柳敬二と、ツーマンライブをセルフプロデュースで開催。このころより、ライブは月一回ペースとなる。

★2014.12.20 小泉さんに誘われ,立川の音楽酒場・歌酒房「農家」へ。そこで,頭慢や愛の世代ズと初顔合わせしました。

2015.3.8 東京 蔵前のライブバー「Slow Life」にて初ライブ。(★この日のライブには,肥さんも参加しました。)Slow Lifeは、SQUALでデュオを組んでいた奥村がその妻のたまえちゃんと開いた店。以降、同店にてライブを多数行う。
2017.2.1 沖縄 石垣島に引っ越す。活動拠点を石垣島とする。
2017.3.23  「たかしの店」にて初ライブ。以降、同店にて毎月ライブを行う。石垣島情緒を歌った歌を多く作るようになった。(★肥さんは,2018.3.19~21に石垣島を訪問。学年旅行のために,たかしの店で頭慢に会えたのでした)
2018.1  かさぴとのユニット「ピーマン」結成。昔の男女デュエットソングカバーを中心に歌う。

★肥さんは「肥さんの夢ブログ」にて,毎月の頭慢ライブをリンクすることに決め,現在26回行っています。いいと思ったものを拡散することも,一つの「創造行為」だと思うからです。

 

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コメント

音楽歴の紹介、ありがとうございます。
肥さんのコメントを見て、2014年12月の「農家」ライブの記録を見返してみました。
http://20f.jugem.cc/?eid=332
なかなか不思議なセットリスト。全然忘れてました。

頭慢さんへ
コメントありがとうございます。

「あなたが歌を歌えるなら歌を歌うべきだと思う」
という楽曲に元気をもらい,それを言ったところ,
楽譜もいただきました。
あれから4年半いろいろなことがありましたが,
あの「農家」での夜は,私にとって大きな画期となりました。

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