ファイルに「多元的古代」の記事をまとめてみた
先日,退職2年目の展望として,パンフやガリ本の構想を書いたが,
昨日はそれに入れる多元的古代の記事をファイルにまとめてみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「夢ブログ」・・・「方位の考古学」とは?
の記事 「国分寺」はなかった!
(付・聖武天皇の国分寺建立の詔・「続日本紀」より)
南朝の都は,東偏だった!
泉官衙遺跡遺構変遷図に,2つの王朝の「栄枯盛衰」を見た!
正方位の都は,こうして生まれてきた(川瀬さん)
2つの王朝の「方位」の変遷~九州王朝と近畿王朝
伊勢斎王の宮殿も,東偏だった!(多元の会との「歩く会」の前日で,タイムリーでした)
下野国府(都賀評衙),幡羅評衙,榛沢評衙などの紹介
東アジアの動乱の中で,九州王朝は・・・(川瀬さん)
関係資料・・・武蔵国分寺&東山道武蔵路のカラー地図
ふちゅう地下マップ(カラー地図)
川瀬さんの「武蔵国分寺~武蔵国府」案(カラー地図)
東偏5度の寺院と街並み
研究記録・・・府中研究会の歩み(川瀬さん)
2018年7月~2019年3月まで川瀬さんと私が行ってきた研究会の記録で,
場所は主に,府中ふるさと歴史館で行われた。
遺跡の精査は,現在でも多元的「国分寺」研究サークルのサイトで継続中。
※ 奈良文化財研究所データベースについて
« 楽天が5点差の負け試合を引き分ける | トップページ | キンカン,喰って,また喰って♪ »
「古田史学」カテゴリの記事
- 払田の柵の柱の年輪年代について(2021.01.25)
- やはり入手しておくか(2021.01.22)
- 新田郡庁跡と泉官衙遺跡の時期の比較(2021.01.20)
- 日本最大の大きさの「新田郡衙遺跡」(2021.01.18)
- 郡山遺跡Ⅱ期と多賀城Ⅱ期の「石敷き」(2021.01.18)
コメント