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2019年3月28日 (木)

「日本書紀は〈偽書〉である」という言葉について

『九州王朝の歴史学』という古田さんの本があって,私も読んだが,「偽書論」というのが大変印象に残った。

日本書紀は歴史を偽造している。だから・・・それを承知で読まなければならないということだが,

最初から最後まで「偽りの話」の連続かというと,どうもそうではないようだ。

 

確かに地名などについては,浪速→難波,淡海→近江,川内→河内のような九州から近畿への「引っ越し」のための

偽造があるように思われるが,時間軸はどうかというと,違う気がする。

第一,時間軸まで大幅にずらしてしまうと,正史としての体をなさなくなってしまうのではいか。

確かに九州の〇〇天皇の事績は,近畿の〇〇天皇(政権を奪う700年以前の当時は「〇〇大王」)の事績である

ということにはしたいが,それ以上のことはかえって偽造の邪魔になる。

 

「案外時間軸は信用できる」というのが,府中研究会で川瀬さんから学んだことの一つだ。

その例のいくつかを「夢ブログ」でも「全文検索」という形で載せたが,

「屯倉」関連記事・・・継体に続く2代のところで半分以上を占める(九州年号を定め,全国に屯倉を広げていく時期)

「詔」記事・・・継体に次ぐ3代の欽明のところ(スタート期)と孝徳のところ(ゴール期)が九州王朝の支配拡大の時期で,

もう一つのピークが天武・持統のところだ。これは,近畿に「拉致」した九州王朝の天皇に出させた「隠れ詔」と思われる。

つまり,近畿王朝のスタート期に出された「数多くの詔の山」なのである。

(川瀬さんの「主語有無」の論証。主語があれば近畿の天皇。なければ九州王朝の天皇のこと)

 

 

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